大阪桐蔭「藤浪世代」の主将・水本弦が振り返る春夏連覇の快挙と、大谷翔平と韓国の街中で猛ダッシュの思い出 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

【よっしゃ、春夏連覇や!】

 当時の大阪桐蔭野球部の状況を振り返っておく。

 2008年夏に17年ぶり2度目の全国制覇。水本らの入学直前の2010年春にもセンバツ出場。水本、藤浪が戦力となった1年秋は、近畿大会まで進むも初戦敗退。藤浪が主戦、水本が2番・センターに入った2年夏も、大阪大会決勝で東大阪大柏原にサヨナラ負け。

 あと一歩が届かず、甲子園への思いを募らせたなかで立ち上がった新チームで、水本は主将に抜擢された。そして副主将には白水健太(現・福井工大福井監督)と澤田圭佑(現・ロッテ)。このリーダー3人体制が機能したとの声は、当時からよく聞こえていた。

 水本は高校だけでなく、大学、社会人でも主将を任されることになるが、自己主張の強いタイプではなかった。チームメイトの水本評も「意見が言いやすい」「マイペース」「群れない」「よくわからない」などさまざま。自己診断では「こう見えて人見知り」「得意なのは人間観察」とのことだ。

 チームきっての元気印の白水、藤浪と競いながら投手陣を引っ張った澤田、そしてチームを俯瞰して見られる水本......この3人のバランスが絶妙だった。

 水本はメンバー外の選手とも分け隔てなく接し、同級生25人に満遍なく視線を届かせるタイプのリーダーだった。

 この取材の時も「小柳(宜久)っていうのがいるんですけど、野球は全然でまったく大阪桐蔭らしくないんですけど、最後までやりきって、今は東京で仕事を頑張っているみたいです」「ベンチには入れなかったですけど、山口(聖也)っていうピッチャーはめちゃくちゃけん制がうまくて、バッティングピッチャーでもいつも原崎(隼人)と投げてくれたんです。今は奈良でお父さんのあとを継いで頑張っているそうです」といった感じで、合間合間にチームメイトの話を挟んできた。

 その話を聞きながら、水本の人柄が伝わってくると同時に、明るくて伸びやかな当時のチームの雰囲気が容易に想像できた。

 3人が中心となって動き出した新チームは、連日、寮でミーティングを行なった。全員が寮で過ごす大阪桐蔭野球部最大のメリットと言えるのが"選手間ミーティング"で、その頻度が高まったのがこの時期だった。あと少しで甲子園を逃した悔しさを持ったチームは、何度も話し合いながら目指す場所を確認し合った。

3 / 7

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る