大阪桐蔭「藤浪世代」の主将・水本弦が振り返る春夏連覇の快挙と、大谷翔平と韓国の街中で猛ダッシュの思い出

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

大阪桐蔭初の春夏連覇「藤浪世代」のそれから〜水本弦(前編)

 2012年夏。晴天の甲子園球場に戦いの終わりを告げる勝者の声が響いた。

「目標だったんで、今は達成感でいっぱいです」
「自分たちのやってきたことが間違ってなかったと証明できて、本当によかったです」

 グラウンドに用意されたお立ち台の上に並ぶふたりのヒーロー。先にマイクを向けられたのは、甲子園史上7校目となる春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭の主将・水本弦。つづけて落ち着いた口調で喜びを語ったのは、14奪三振完封で大会を締めたエースの藤浪晋太郎。長い夏を戦い抜いてもなお、余力を感じさせるふたりに「春夏連覇さえも通過点」の思いを強くしたものだった。

 あれから10年が過ぎようとしていた2022年。阪神で苦戦を続けるあの夏のエースの姿を見ていると、大阪桐蔭初の春夏連覇を遂げたメンバーの"それから"に興味が向いた。それぞれ、どんな時間を重ねてきたのだろうか。

2012年、史上7校目の春夏連覇を達成し優勝旗を受けとる大阪桐蔭主将の水本弦 photo by Kyodo News2012年、史上7校目の春夏連覇を達成し優勝旗を受けとる大阪桐蔭主将の水本弦 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

【大阪桐蔭・西谷監督との出会い】

 思い立って訪ねたのは、愛知県名古屋市。当時、水本が勤務していた東邦ガスの本社がここにあった。夕刻、仕事終わりの水本と待ち合わせると、馴染みだという夫婦が営む居酒屋に向かった。

 半袖のワイシャツからのぞく太い二の腕や分厚い胸板には、まだ十分に現役感が残っていたが、2021年秋の日本選手権を最後に水本は現役を引退し、野球部を離れていた。

 しばらく近況を確認したのち、時間を巻き戻し、石川県出身の水本が大阪桐蔭に進んだ経緯から話を進めていった。

「中学3年の春、あそこからつながっていったんです」

 白山能美ボーイズの主力選手だった水本は、大阪で行なわれていた全国大会に出場。ここでの試合を、大阪桐蔭の監督である西谷浩一が観戦していたことで縁が生まれた。西谷に当時の記憶をたどってもらった。

「舞洲での試合だったんです。第一印象は『左のまずまずいい投手だな。名前は水本というのか』という感じで......。4、5回になったところで、もうひとつの会場だった南港に移動したんです。しばらく試合を見て、再び舞洲に戻ったら白山能美が勝ち上がって、2試合目を戦っていた。

 そこでスコアボードを見ると、ショートのところに『水本』とある。てっきり兄弟か双子だろうと思ってファウルボールを回収に来た白山能美の子に聞いたら、『さっき投げていたのと同じ選手です』と。そこで両投げだとわかったんです。バッティングもよかったし、ショートも守れるのかと興味が湧いてきたんです。試合後、監督さんのところにあいさつに行くと、名刺に『水本』と記されている。お父さんだったんです」

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