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大阪桐蔭「藤浪世代」の主将・水本弦が振り返る春夏連覇の快挙と、大谷翔平と韓国の街中で猛ダッシュの思い出 (5ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 7月に行なわれた日米大学野球選手権では、1年で唯一代表入り。しかし、大学球界のスターが揃った舞台でも、気持ちが揺らぐ出来事が待っていた。衝撃を受けたのが、青山学院大2年の吉田正尚(現・レッドソックス)のバッティングだった。体格的には水本より小柄な吉田の打球に度肝を抜かれた。

「捉える技術もすごいうえに、フリーバッティングの飛距離がケタ違い。あの小さい体で、坊っちゃんスタジアム(愛媛)の上段に軽々と放り込むんですよ。自分はスタンドに入れても、上段なんて無理。その時に、バッティングで勝負するならこのレベルまでいかないと、プロに行けたとしてもその上にはいけないなと思ってしまったんです」

 のちにメジャーでも中軸を打つことになる吉田の力をもっと理解できていれば、「この人は別格」と思えたかもしれない。あるいは、吉田が2年ではなく4年であれば、「オレもあと3年で技術を磨いて......」となったかもしれない。しかし。当時はそう思えなかった。

「プロを基準にして、プロに行くことだけを考えていた分、パッと気持ちが引いてしまったんです」

 大きな目標だったプロの世界が意識のなかで遠のき、そこへさらにモチベーションを下げる出来事が続いた。

 1年秋のリーグ戦を亜細亜大は制し、神宮大会も優勝。大学日本一の座に就いたのだが、ここでまた気づいてしまった。

「正直『えっ、これで日本一?』って思ってしまったんです。もちろんうれしかったんですけど、お客さんはそこまでいないし、11月で寒いし、球場の雰囲気も、メディアの盛り上がりももうひとつ。5万人近いお客さんが入って、あの華やかな応援だった甲子園とのギャップがあまりに大きくて。その時に『ああ、高校で一番スポットライトを浴びて、一番いい思いを味わわせてもらったんだな』となったら、そこで日本一を獲るというモチベーションが下がっていったというか......」

 甲子園で春夏連覇の快感を味わったからこそ痛感した"落差"とも言えるだろう。その結果、「大学2年から、完全に迷走しました」と水本は言う。

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