大阪桐蔭「藤浪世代」の主将・水本弦が振り返る春夏連覇の快挙と、大谷翔平と韓国の街中で猛ダッシュの思い出 (6ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 納得する数字も残せず、スカウトの目も離れ、「野球は大学まで」と決心し、西谷に連絡を入れた。しかし、「ユニフォームは自分で脱ぐもんじゃない。野球をとことん頑張って、『脱げ』と言われた時に脱ぐものや」の言葉で翻意。社会人野球の東邦ガスへ進んだ。

 しかし、社会人1年目は肺に穴があき、2年目は足の肉離れ、3年目は膝の痛み......。結局5年間プレーし、2021年限りで引退。場合によってはコーチの道もあったが、グラウンドを離れた。

【現役への未練は1ミリもない】

 現役引退までを振り返り、ひと息つくと水本の視線は店の壁に設置されていたテレビに向いた。中日戦の実況アナウンサーが「今日の大谷翔平は......」と海の向こうの話題を口にした時だ。

「大谷とは韓国でクッソ長いソフトクリームを食べながらふたりで観光して、街中でダッシュもしたんですよ」

 話は高校時代に戻った。春夏連覇のあとに開催された第25回AAA世界野球選手権大会。水本は日本代表に選出され、大谷たちとチームメイトとして戦った。日本は6位で大会を終えたが、最終日が観光となり、気づけばふたりで街を巡ることになったのだという。

「この前、あるテレビ番組で大谷が韓国の街をウロウロしているあの時の映像が流れたんです。メディアの人が何人かついてきて、『食事代でもなんでも出すから1日密着させてほしい』と、大谷に交渉してきたんです。でも大谷は、『プライベートで遊んでいるので』と断ったのですが、それでもついてきて。そうしたら、少しして角を曲がったところで大谷が『弦、いくぞ!』と言って、そこからふたりして猛ダッシュ。完璧にまきました(笑)。懐かしい思い出っすね」

 その時の相棒が、今や「世界の大谷」となりメジャーを席巻。大谷のほかにも、藤浪をはじめプロの世界でプレーを続けている同世代は多くいる。何かがプラスされていれば、水本も画面の向こうでプレーしていたかもしれなかった。しかし、水本は一貫して首を横に振った。

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