「野球の試合には0回の表と裏がある」 創価高・堀内尊法監督が7分間の試合前ノックにかける思い

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

創価高校野球部〜躍進の舞台裏(後編)

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【スイッチノッカー誕生秘話】

 創価高の堀内尊法監督を語る時、絶対に忘れてはいけないのはノックの腕前だ。全国にノックの名手はたくさんいるが、左打ちでも右打ちでも自在に打てる"スイッチノッカー"は珍しい。

全国でも珍しいスイッチノッカーの堀内尊法監督 photo by Fujioka Masaki全国でも珍しいスイッチノッカーの堀内尊法監督 photo by Fujioka Masakiこの記事に関連する写真を見る 堀内監督はもともと右打ちだった。松山商業(愛媛)時代、窪田欣也監督の指示で左打ちに挑戦し、その後はスイッチヒッターとして甲子園でもヒットを量産した。左打ちでノックを打ち始めたのは大学を卒業してからだと、堀内監督は言う。

「高校時代に左打ちの窪田監督、右打ちの澤田勝彦コーチに、毎日ものすごい数のノックを打ってもらいましたが、右と左では打球の質が違うことに気づいていました。大学でコーチになる時に、岸雅司監督から『選手がうまくなるためにノックを打ってくれ』と言われて、右でも左でもノックできたほうがいいと思ったんです。選手の守備をうまくするためにはそれが一番だと考えて」

 ゴロの練習から始めて、そのうちライナー、やがてフライも自在に打てるようになった。

 スイッチヒッターであったとしても、簡単に"スイッチノッカー"になれるわけではない。堀内監督の野球に対する取り組み方があればこそである。

 1986年夏の甲子園で松山商業が準優勝した時のコーチである澤田氏(のちに松山商業の監督として1996年夏に全国制覇)は、堀内監督についてこう語る。

「左打ちを始めた時はもちろん、全然バットに当たりませんでした。でも、毎日練習をしていくうちに、ちょっとずつ前に飛ぶようになる。堀内みたいに、自分の力がないことを自覚してそれを克服した人間はほかにはいません。最高のお手本ですね。創価大学で活躍するようになってから聞いたけど、『高校の時は毎日1000本素振りしました』と言っていましたね。毎日、とことん練習したうえで自宅に帰ってそれだけ素振りをすることなんて普通はできません」

 堀内監督には自らに課していることがある。

「ネックウォーマーをしたり、ジャンパーを着たままノックを打つことはありません。いくら寒くても、選手がユニフォームで頑張っているんだから、同じ格好でやります。そうしないと失礼だと思いますから」

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