大阪桐蔭・前田悠伍がドラフト直前に胸中を吐露「夏の大会に負け、自分に対する評価も下がるだけ下がっただろうと...」 (3ページ目)
── 結果は8回を投げて6安打、5奪三振、4四死球、3失点。試合に敗れて、4度目の甲子園出場は果たせませんでしたが、前回の試合よりもボールはよくなっているように見えましたし、西谷監督も「あそこをクリアしたら、少し間隔が空いて甲子園。さらにいい投球が見られたはず」と話していました。
前田 それはあったかもしれないですけど、自分的にはあそこで負けて、代表でフォームを二段にしたことで明らかにボールの質が上がったので......やっぱりそっちですね。
── 最後に持てる力を存分に発揮し、気分的にラクになりましたか。
前田 なりましたね。夏の大会に負けて、自分に対する評価も下がるだけ下がっただろうと思っていたので......。だから代表に選ばれた時は、もちろん世界一になりたいという目標はありましたが、同時に最後のプロへのアピールの場をもらったと。ここでなんとかいいピッチングをして、「前田はこんなものか」と思っていた人も含め、多くの方にベストの投球を見てもらいたい。その気持ちはかなり強かったです。
── いよいよドラフトです。
前田 楽しみです。ワクワクしています。
── 今年は大学生投手に多くの逸材がいると言われていますが、プロからどんな評価を受けるのか楽しみですね。
前田 1位でプロに行きたいとずっと思っていたので、そうなれば一番ですけど、そうならなくてもプロ野球のスタートラインに立てたら、あとはそこからです。でも、周りからいろいろ話を聞いていると、ドラフト候補のピッチャーってみんな150キロを投げるみたいですごいですよね。自分が小学生の頃なんて、150キロっていったら「えぐっ!」って感じだったのが、今では当たり前みたいになっていますよね。
── そういう怪物たちが集まる世界で、前田投手は何を武器に戦っていきますか。
前田 ボールのスピードに関しては、これからトレーニングをしていけば自然と上がってくると思うので、それ以上にいろんなボールで勝負できて、すべてのボールでバッターを圧倒できるような、そんなピッチャーになっていきたいです。あとは息の長いピッチャー。できるだけ長く、プロの世界で投げていきたいです。
この記事に関連する写真を見る前田悠伍(まえだ・ゆうご)/2005年8月4日、滋賀県生まれ。小学2年で野球を始め、6年時にオリックス・ジュニアでプレー。中学時代は湖北ボーイズに所属し、1年時にカル・リプケン12歳以下世界少年野球日本代表として世界一を達成。大阪桐蔭では1年秋からベンチ入りを果たし、2年春のセンバツで優勝。同年夏は甲子園ベスト8。新チームでは主将に任命され、3年春のセンバツでベスト4入りを果たしたが、夏は大阪大会決勝で履正社に敗れた。U−18W杯では日本のエースとして、初優勝に貢献
著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。
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