PL学園・中村順司と帝京・前田三夫が甲子園のベンチからにらみ合い「あれはなんだ?」「大変失礼なことをしました」 (3ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

●PL選手は「みんな明るくて、野球小僧」

中村 親善野球とはいえ遊びではないから、私らも選手が気をゆるめないよう気を使いましたね。ずっとお山の大将だったような選手も、こいつはちょっとと思う時はスパッと外したし。

 うれしかったのは、高野連の方にうちの立浪(和義)や片岡(篤史)を褒めてもらったことかな。球場に着くと自分のポジションに行ってホーム付近がどう見えるかなど、いの一番に確かめていたから。

PL学園監督時代、若かりし日の中村氏 写真提供/中村順司PL学園監督時代、若かりし日の中村氏 写真提供/中村順司この記事に関連する写真を見る前田 宿舎で私のユニフォームをきれいに畳んで毎回置いておいてくれたのは立浪君でした。チームに帰ったあと、よく選手に話をしたものです。強いチームの選手は周りに対する気配りができる。優勝するというのは、決してまぐれではないんだと。だから、見習おうってね。

 PLとは秋の海邦国体(沖縄)でも2回戦で対戦し、ここでは帝京が運よく勝って最終的に優勝したんですが、PLの選手たちと宿舎が一緒で何度か話をしました。みんな明るくて、野球小僧。私と中村さんが一緒にいたら、そこへ自然と集まって来て私に話しかけてくるんです。フレンドリーで、チームワークも非常によかったんだなと感じました。

中村 そういえば、アメリカ遠征中に前田さんが日本からの電話で「旅に出たヤツ、元気かな」って言っていたのを耳にしたなぁ。電話の相手は部長さんだったかな。選手が練習の不満を言ったとか、言わなかったとか。

前田 あの頃、よく選手に「お前、旅に出てこい」って言っていたんですよ。頭冷やせってグラウンドに入れなかった(笑)。そういう日ごろの練習についてもいろいろ話しましたね。

1979年秋の神宮大会で選手に指示をする前田氏 写真提供/前田三夫1979年秋の神宮大会で選手に指示をする前田氏 写真提供/前田三夫この記事に関連する写真を見る中村 ロサンゼルスのドジャー・スタジアムにメジャーの試合を観戦に行った時、オーロラビジョンでスタンドにいる我々が紹介されたじゃない。日本チームの一人ひとりが映し出されて、あれもいい思い出になりました。

前田 ディズニーランドにも行きましたね。そうそう、ハワイでは中村さんがオフの日にゴルフに行ったじゃないですか。選手をワイキキで泳がせるから見ててくれと頼まれ、私はゴルフはやらないので気軽に引き受けたんですが、実際は海で選手があちこちに散って、さらに女の子と話をしているヤツもいるし、もう散々でした(笑)。

中村 そんなこともありましたか(笑)。

前田 でも一番記憶にあるのは、中村さんが私に「いつでもやめる覚悟で監督をやっているんだ、辞表はすぐにでも出せる」ときっぱり言ったことです。ハッとさせられましたね。それぐらいの必死さで監督をやらねばならないんだなと知り、身の引き締まる思いでした。

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