PL学園・中村順司と帝京・前田三夫が甲子園のベンチからにらみ合い「あれはなんだ?」「大変失礼なことをしました」 (5ページ目)

  • 藤井利香●取材・文 text by Fujii Rika
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

●PLの不在に「さみしすぎる」

中村 高校野球はたくさんの人が応援してくれる。支えてくれる人への感謝の気持ちを忘れてはいけませんが、まずは同じ学校の仲間たちから応援されるようなチームになることが何より大事だと思っていました。クラスのなかでもさすがと思われる存在であってほしい。

 でも当時、連続して甲子園に出場すると、一般生徒からまたかという顔をされるんですよ。ところがいざ甲子園に行ってみると、みんなすごく楽しかったって言ってくれる。野球部員に限らず、全校生徒にとっても甲子園がかけがえのない思い出になればと思っていました。

撮影の合間にも高校野球の思い出話は尽きなかった撮影の合間にも高校野球の思い出話は尽きなかったこの記事に関連する写真を見る前田 帝京は野球よりサッカーのほうが先に全国優勝していますが、運動部が強いと学校が元気になります。出入りする業者によく、ここの生徒は明るくて、学校に活力があると言われていました。

 進学校化することも大切かもしれませんが、いつの時も学校が元気であってほしいと私なりに思っています。そう考えると、PLの試合が見られないのは寂しすぎますね。高校野球ファンにとってあまりにインパクトの強いチームですから。

中村 これまで見知らぬ人から「PLの校歌を歌えます」などと声をかけられたこともありましたが、この先時間が経つと大阪桐蔭や履正社しか知らないという人も増えるでしょうね。

 でも、それは致し方ないです。以前は野球が好きで力を注いでくれた教祖でしたが、今は母体である宗教法人の方針で、野球部の復活は難しいようです。いい知らせがいつか届くといいなと、願うばかりです。

後編<「高校野球は変革の時。監督も勉強をし直す必要がある」PL学園元監督・中村順司と帝京名誉監督・前田三夫の指導論>を読む

前編<PL学園と帝京の名将が振り返る直接対決 中村順司「帝京はPLの弱点を狙わなかった」前田三夫「やったところで勝てる相手じゃない、真っ向勝負ですよ」>を読む


【プロフィール】
中村順司 なかむら・じゅんじ 
1946年、福岡県生まれ。自身、PL学園高(大阪)で2年の時に春のセンバツ甲子園に控え野手として出場。卒業後、名古屋商科大、社会人・キャタピラー三菱でプレー。1976年にPL学園のコーチとなり、1980年秋に監督就任。1998年のセンバツを最後に勇退するまでの18年間で春夏16回の甲子園出場を果たし、優勝は春夏各3回、準優勝は春夏各1回。1999年から母校の名古屋商科大の監督、2015〜2018年には同大の総監督を務めた。


前田三夫 まえだ・みつお 
1949年、千葉県生まれ。木更津中央高(現・木更津総合高)卒業後、帝京大に進学。卒業を前にした1972年、帝京高野球部監督に就任。1978年、第50回センバツで甲子園初出場を果たし、以降、甲子園に春14回、夏12回出場。うち優勝は夏2回、春1回。準優勝は春2回。帝京高を全国レベルの強豪校に育て、プロに送り出した教え子も多数。2021年夏を最後に勇退。現在は同校で名誉監督を務めている。

プロフィール

  • 藤井利香

    藤井利香 (ふじい・りか)

    フリーライター。東京都出身。ラグビー専門誌の編集部を経て、独立。高校野球、プロ野球、バレーボールなどスポーツ関連の取材をする一方で、芸能人から一般人までさまざまな分野で生きる人々を多数取材。著書に指導者にスポットを当てた『監督と甲子園』シリーズ、『幻のバイブル』『小山台野球班の記録』(いずれも日刊スポーツ出版社)など。帝京高野球部名誉監督の前田三夫氏の著書『鬼軍曹の歩いた道』(ごま書房新書)では、編集・構成を担当している。

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