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履正社にセンバツ敗退後に上がっていた心配の声 どん底状態からいかにして大阪桐蔭を倒し、甲子園に出場できたのか (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

 すると......尻上がりに調子を上げ、甲子園では初戦で1試合5本塁打の大会タイ記録。春の再戦となった星稜との決勝では、奥川から11安打を放ち5得点。春の屈辱から、見事、全国の頂点に立ったのだった。

「悔しさを感じた時が、一番選手が伸びる時」は、甲子園で監督として最多の68勝を挙げた智辯和歌山の元監督である高嶋仁の金言だが、今夏の履正社に大阪桐蔭を上回っていたものがあったとすれば、ここだったのではないだろうか。

 分厚い戦力、チームの雰囲気、取り組みに裏打ちされた確固たる自信......。履正社が夏の大阪大会で大阪桐蔭に勝利したのは、じつに24年ぶり(2020年の独自大会は除く)のことだった。そんな履正社に不安なデータがあるので紹介したい。

 大阪桐蔭との直接対決で勝利し、大阪の代表として甲子園に出場した高校は、2000年以降で見るとのべ7校ある。01年の上宮太子、03、04年のPL学園、07年の金光大阪、09年のPL学園、11年の東大阪大柏原、15年の大阪偕星。しかし、甲子園ではいずれも2戦以内で敗れ、大会終盤まで勝ち上がったチームはない。

 そしてもうひとつ、近年、大阪で本気で甲子園を狙うチームにとって"打倒・大阪桐蔭"は当然の合言葉となっている。それゆえ、大きな目標を達成したあとの充足感が、甲子園の戦いに影響したのではないか......。

 大阪大会史上初の決勝再試合で大阪桐蔭を下した04年のPL学園。秋、春につづく三度目の対決で、中田翔(現・巨人)が投打の大黒柱だった大阪桐蔭を決勝で下した07年の金光大阪など、さまざま激闘が思い浮かぶが、悲願を果たしたあとの甲子園で戦うモチベーションと体力がどれほど残っていたのか。その点、今年の履正社は誤解を恐れずに言えば、「大阪桐蔭さえ通過点」のように映る。

 もちろん、高校野球は一発勝負の世界。強いチームが必ず勝つとは限らない。それでも「履正社らしい野球を見せたい」と語る主将の思いが実行されれば、些細なジンクスなど気にせず突き進む可能性は大いにある。新生・履正社の物語がここからまた動き出す。

著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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