高校で野球を終えるはずが...元プロ監督、熱血部長に導かれ覚醒。呉港・田中多聞は高校通算48本塁打のドラフト候補になった (5ページ目)

  • 井上幸太●文・写真 text & photo by Inoue Kota

「この試合で(エースの)冨田(遼弥)くんとの対戦はなかったんですが、前田くんに抑え込まれた。スカウトの方も来られるようになって、その気になってきたなかで全国レベルのチームの投手に抑えられて、『自分はプロに行けるんか?』と不安になったんでしょうね。これまでになかったような焦りを多聞から感じました」

 遠征を終え、学校に戻ると、秋と同じように朝山と田中が口論になった。

「あんたがプロ行け言うから、そう思ってやってきたんや!」

「誰がプロ行ってくれなんて頼んだんや!」

 例の如く、不躾に思える物言いにも、朝山は不快感を覚えなかった。これだけ田中の感情が揺れ動くのも、本気で練習に取り組んできた自負があったからこそ。どんどん野球にこだわりを持ちはじめた愛弟子の姿がうれしく、スケジュール帳の当日の欄には「多聞とけんか」と書き留めた。

 田中はここからもう一段強くなった。朝山が続ける。

「次の日の朝はまたケロッとして『やります』とグラウンドに出てきて(笑)。そこから明らかに三振が減って、するにしても自分の形で振りきっての三振に変わってきました。初めてプレッシャーを感じて、それを跳ね返そうと野球をやり始めた。だから自分も多聞が打てなかった時に『しゃあない』とは絶対言わんとこうと思って。『打てんかったな。次や』と絶対に結果から目を背けないようにしました」

 自分の打撃を確立した田中は再び量産態勢に入り、夏の広島大会開幕まで1カ月をきったタイミングで、通算47本まで本塁打数を伸ばした。だが、最後の最後に大きな落とし穴が待っていた。

不完全燃焼だった最後の夏

 開幕3週間前の練習試合で「守備で打球が飛んできた時、ボールが3つに見えた」。熱中症だった。184センチ、83キロまで増やした体重は79キロまで落ちた。急ピッチで調整し、81キロまで戻して夏の大会に入ったが、これまで感じていた体のキレが戻らない。焦れば焦るほどミスショットが増え、3試合で10打数2安打。本塁打はゼロだった。チームも、最終的に優勝する盈進に準々決勝で敗れた。田中が振り返る。

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