高校で野球を終えるはずが...元プロ監督、熱血部長に導かれ覚醒。呉港・田中多聞は高校通算48本塁打のドラフト候補になった (2ページ目)

  • 井上幸太●文・写真 text & photo by Inoue Kota

 もともと地元の中学硬式チームの代表を務めるなど、大の野球好きの父に勧められて始めた野球。バレーボールの選手として実業団までプレーを続けた母譲りの身体能力のおかげで一定の結果を残せていたが、"やらされている"意識が拭えず、今ひとつ野球に没頭できない自分がいた。

 そんな背景もあり、高校入学前は「野球は高校で終わろう」と決めていた。系列の大体大浪商に進まず、「小学校の頃に家族旅行で宮島に行ったことがあるくらい」と取り立てて縁のなかった広島にある呉港を選んだ理由も、「最初に声をかけてもらったから」と至極シンプル。当時監督だった佐々木幸治(現・広島修道大エグゼクティブアドバイザー)が、田中の潜在能力を見出し、熱心に誘ったことが大きかったのは間違いないにせよ、高校で野球に区切りをつけようと思っていたからこその即決だった。

部長との激しい口論

 田中が入学する直前の2019年12月に、片岡が呉港の監督に就任した。片岡は選手たちに「グラウンドでの全力疾走を絶やすな」など野球への向き合い方を説いた。類稀な素質を持ちながらも野球に打ち込みきれず、「プロ野球選手」の肩書を失っていった選手の姿を、現役、コーチ時代に嫌というほど見てきたからだった。

 入学以来この姿勢を説かれてきた田中だったが、2年秋までは「やったり、やらなかったり」(田中)。練習同様、そこにもムラがあった。だが、2年秋に片岡からプロ球団が自分に興味を持っている事実と合わせ、スカウトたちがどこを見ているかを伝えられた。田中が回想する。

「監督さんから『プロのスカウトは結果だけで判断しない』と教えていただきました。結果よりも、プレー中の態度や取り組み、ネクストでの準備の仕方だったり、野球に取り組む姿勢を試合のなかで見極めている。だから野球に取り組む姿勢が大切で、全力疾走だけは絶やしてはいけないんだと理解できました」

 片岡とのやり取りと前後して、もうひとつのターニングポイントを迎えた。それが部長の朝山克彦とマンツーマンでの早朝練習のスタートだった。朝山は三重の海星、大阪体育大、大和高田クラブで現役を続け、甲賀健康医療専門での指導を経験したあと、2013年から呉港の部長を務めている。関西人らしいカラッとした明るさが印象的な熱血漢だ。その朝山が記憶を掘り起こす。

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