高校で野球を終えるはずが...元プロ監督、熱血部長に導かれ覚醒。呉港・田中多聞は高校通算48本塁打のドラフト候補になった (4ページ目)

  • 井上幸太●文・写真 text & photo by Inoue Kota

 朝山も5時20分ごろに自宅を出発し、6時の朝練開始に間に合うように来る日も来る日も車を走らせ、見守った。雨の日も休みにはせず、屋根のある場所で振り続ける田中の姿に「ようやってんなあ......」と、思わず圧倒された。

 連日の猛練習は当然過酷を極めたが、田中には今までにない感情が芽生えていた。田中が言う。

「最初は手がボロボロになりましたし、振っている時は正直しんどかったです(苦笑)。でも、不思議と逃げ出したいな、やめたいなという気持ちにはなりませんでした。自分は今まで本気で野球をやってこなかった人間なので、むしろ楽しかったんです。しんどいけど、楽しい。最後まで朝練をやり遂げた時に、自分はどうなっているんだろう、どこまでいけるんだろうとも思いながらやっていました」

 手の平にマメができては潰れる過程を繰り返し、手の皮が数段厚みを増すと同時に、田中の打撃は劇的な進化を遂げた。3月に実戦が再開されるやいなや、次々と本塁打が飛び出し、春の公式戦でも強烈な一発をライトスタンドにたたき込んだ。4強まで勝ち進んだ春の広島大会終了時点で、高校通算本塁打は30本近くに達していた。田中が回想する。

「春になると、振り遅れたと思ってもスイングが間に合って、ジャストミートできるようになりました。あと、素振りを続けるなかでフォームを考えながら振るようにもなっていって。下級生時代はトップが浅かったんですが、いい打者の動きを観察して、深いトップを意識すると、変化球に崩されないようになりました。

 ほかにも、秋までは力を抜いて振ると、抜いた分だけ力がなくなって弱々しい振りになっていたんですが、振り込んでからは力を抜いたほうが、ヘッドが走る感覚が出てきました。そういうのを試しながらやっていたら、どんどん野球が楽しくなってきました」

打ち砕かれた自信

 自信を得て、その活躍を見ようとプロのスカウトが試合に駆けつけたことを知り、さらに自信が深まり、やる気が湧き出る。そんな好循環の真っ只中にあった田中だが、逆境にも直面した。ゴールデンウィークに遠征で、鳴門と対戦し、プロ注目の強打者でありながら最速140キロ中盤を誇る本格派右腕の顔も持つ前田一輝に抑え込まれたのだ。朝山が振り返る。

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