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元ドラ1「未完の剛球王」が
独立リーグで復活。メジャーへの扉を叩く (2ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi
  • photo by Asa Satoshi

 当然、北方も壮大な未来図を描いていたことは想像に難くない。しかし、周囲が求める期待と現実のギャップに苦しみ、やがてピッチングそのものを見失うことになる。それがプロ3年目のことだった。北方が当時を振り返る。

「あの年はキャンプも一軍でスタートし、『今年はいくぞ!』っていう感じだったんですけど......コントロールを意識しすぎて、ダメになっていきましたね」
 
 コントロールと言っても、高校時代はそれほど制球に苦労していなかったはずである。北方はプロ入りして1年ほどして制球に苦しむようになったと言うが、それはプロの打者を抑えるための繊細なコントロールというレベルの話ではなく、ストライクがまったく入らないという「プロ以前」の問題だった。

「プロと高校ではストライクゾーンがまったく違いました」

 高校時代はバッターボックスのラインぐらいまでストライクとコールされることがあったが、プロではベース上をきちんと通過しないとコールされなくなった。ボールのコールが多くなるにつれて腕が振れなくなり、フォームのバランスを崩すと、ますますストライクゾーンを気にするようになり、まったくコントロールできなくなった。

 2年目を迎える頃には、高校時代には簡単に投げることができた真ん中にさえボールがいかなくなった。

「コントロールのことばかり言われるようになると、高校の時みたいにがむしゃらに投げることができなくなっていたんです。『気にせず投げればいいじゃん』って言う人もいるでしょうが、プロは結果が問われますし、いろんなことが重なって......そういう風にはいきませんでした」

 球界関係者は、そんな北方に"イップス"のレッテルを貼った。一度貼られたレッテルはなかなか取れない。独立リーグの世界に飛び込んだあとも付きまとった。

 2016年シーズンを群馬ダイヤモンドペガサスでスタートさせたものの、早々にリリース。その後も四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツ、昨年はBCリーグの信濃グランセローズで過ごしたが、四死球の数が投球回数を下回ることはなかった。

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