2019.05.14

ムチの大谷翔平、ハリガネの岩隈久志。平成「しなやか」遺伝子の衝撃 

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン 
【2010年10月8日 秋季東北大会 花巻東×学法福島】

 歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動……。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。数多くの勝負、戦いを見てきたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る――。

花巻東の3年夏に高校生として史上初の160キロを記録した大谷翔平 過去から学ぶことは多いが、あまり信用はしすぎないようにしている。

 高校時代にうまい、うまいと喜んで食べていたラーメン屋に30歳を過ぎて行ってみると、意外としょっぱく感じて落胆することがある。自分の味覚が変わったのか、それとも店の味が落ちたのか。理由はわからないが、おそらくその時期、その状況によって人間の感じ方は変わるのだろう。

 そんな曖昧な光に占められた記憶の宝物庫のなかでも、いつまでも鮮やかに輝く断片がある。私にとっては、岩隈久志(巨人)がまさにそうだった。

 岩隈を初めて見たのは、今から20年前の1999年(平成11年)。高校3年時の練習試合だった。当時から岩隈(堀越高校)はプロ注目の投手で、東京都内では有名人。シートノックでサードのポジションに入った岩隈は、190センチの長身で一際目立っていた。その体は、ハリガネがユニホームを着ているかのように細かった。

 サードからの送球を見て、言葉を失った。右腕をぐにゃりとしならせて、指先で弾いたボールは今までに見たことのない鋭い軌道でファーストのミットに収まった。マウンドに上がってもいないのに、たった1球のスローイングで非凡と平凡を隔てる巨大な壁を築いてしまう。残酷な才能だとひと目で悟った。

 その後、私の高校は夏の西東京大会4回戦で堀越と対戦する。私たちは近距離にセットしたピッチングマシンを打ち込み、岩隈対策をバッチリ積んで試合に臨んだ。すると堀越に岩隈を温存され、あまつさえコールド負けを喫するという盛大なオチがついた。私はしばらく、野球が嫌いになった。

 それはさておき、私の記憶のなかで岩隈の尋常ではないしなやかさは今でもはっきりと息づいている。多少の美化はあるにしても、私にとって「逸材」の原風景は間違いなく岩隈にあった。