ムチの大谷翔平、ハリガネの岩隈久志。平成「しなやか」遺伝子の衝撃 (2ページ目)
それから10年あまりが経った2010年(平成22年)。私は岩隈以上のショックを受ける選手に出会った。それが大谷翔平(エンゼルス)である。
当時、『野球小僧』(現『野球太郎』)という雑誌の編集部員として花巻東の菊池雄星(マリナーズ)の将来性と人間性に惚れ込み、何度か花巻東に足を運んでいた。菊池の卒業後、「すごい1年生が入ってくる」という噂は耳にしていた。
まだ見ぬ大物に期待はふくらんだが、菊池のような人材が再び岩手に、しかも短期間で現れるとは考えにくかった。むしろ菊池と比較されて、せっかくの好素材が潰れなければいいが......などと余計な心配さえしていた。
2010年10月8日の秋季東北大会・学法福島戦。4番・ライトで出場していた大谷(当時1年)は、6回からマウンドに上がった。当時のサイズは身長191センチ、体重70キロ。岩隈の「ハリガネ」ほどではなかったが、大谷も「ムチ」にユニホームを着せているような細さだった。
その美しい投球フォームから目が離せなくなった。四肢(しし)が踊るようにしなり、心地よく指にかかったストレートが捕手のミットを突き上げる。
ストレートの最速は147キロ。数字以上の衝撃があった。当時から打撃もすばらしいセンスを持っていたが、力強さが出てくるのは高校2年以降のこと。1年の時点での評価は断然「ピッチャー大谷」だった。
今でこそウエイトトレーニングの成果もあり、見るからに力強い体つきになり、フォームもパワー型にシフトした感がある。それでも私にとって大谷との最初の出会いは「しなやかさ」だった。
大谷は「二刀流」という概念をMLBへと逆輸入するほどの、世界的プレーヤーへの階段を上っている途中。また、岩隈も近鉄にドラフト5位入団ながら日本を代表する投手となり、MLBでも成功。38歳になった今も、巨人で現役生活を続けている。
そんな2人の投手に衝撃を受けながら平成を過ごしたからなのか、私は今やすっかり「しなやかフェチ」になってしまった。
令和もきっと、自然としなやかな選手を追い求め、虜(とりこ)にされていくのだろう。
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