2019.05.15

「常勝」の平成の王者。
大阪桐蔭は令和でも王者になれるか

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

平成スポーツ名場面PLAYBACK~マイ・ベストシーン

【2012年3月30日 センバツ大会 大阪桐蔭×浦和学院】

 歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動……。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。数多くの勝負、戦いを見てきたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る──。

浦和学院の最後の打者を打ち取り、喜びを爆発させた大阪桐蔭・藤浪晋太郎 高校野球の世界も新たな時代に入り、全国各地で夏に向けた戦いが繰り広げられているが、令和の幕開けとともにあらためて平成の高校野球界を振り返ってみると、やはり時代の顔として浮かぶのが大阪桐蔭だ。

 平成の甲子園で智弁和歌山と並び最多となる63勝(12敗)を挙げ、8度の日本一はダントツ1位。抜きん出た強さに加え、プロの世界にもスケールの大きい逸材を次々と輩出してきた。

 今や全国のチームから目標とされる大阪桐蔭の全国舞台への登場は、まさに平成の幕開けとともにあった。

 学校創立が1983年(昭和58年)4月。大阪産業大附属高校の分校・大東校舎として開校したのが始まりだ。その5年後に大阪桐蔭として独立し、同時に野球部も発足すると、1991年(平成3年)の春のセンバツ大会に初出場。連続出場となった夏に創部4年目にして全国制覇という離れ業をやってのけた。

 昭和後期に絶大な強さを誇ったPL学園の力がやや落ち着き始めた頃で、それまで絶対王者に歯が立たなかった大阪のライバルたちが全国で次々に結果を出した時期でもあった。近大付が1990年(平成2年)春、大阪桐蔭が1991年夏、上宮が1993年(平成5年)春と立て続けに日本一に輝いた。

 だが初優勝後、大阪桐蔭はしばらく甲子園から遠ざかった。再び甲子園に出場し、”常連”となるのは平成半ばに入ってからだ。

 2002年(平成14年)の夏に全国制覇以来となる甲子園出場を果たすと、2004年(平成16年)春、2005年(平成17年)夏にも出場。この夏は、辻内崇伸(元巨人)、平田良介(中日)の投打の柱に加え、スーパー1年生と騒がれた中田翔(日本ハム)との”怪物トリオ”の活躍で全国ベスト4。この夏の初戦(春日部共栄戦)での勝利が、現在指揮を執る西谷浩一監督にとって甲子園1勝目だった。