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「常勝」の平成の王者。
大阪桐蔭は令和でも王者になれるか (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 だが、ここから相手投手が4連続四球を出し同点に追いつくと、続く打者が2点タイムリーを放ち逆転。4連続四球というラッキーはあったが、最後まで自分たちの戦いに徹するという伝統はしっかりと受け継がれていた。

 ただ、どんなに強さを誇るチームでも、勝ち続けるのは至難の業だ。昨年夏まで智弁和歌山を率いた高嶋仁は、「監督として脂が一番乗っていたのは、40代半ばから50代半ばまでの大体10年ぐらい。体力もまだあったし、経験も積んで頭も冴えとった」と語っていたが、智弁和歌山の甲子園での戦績を見ると、その言葉どおりの結果が残っている。

 甲子園初優勝となった1994年は高嶋が48歳となる年で、ここからの約10年でチームは黄金期と呼ぶにふさわしい強さを示している。自らの体験も含め、高嶋はこう語っている。

「今の西谷監督は一番ええ時期(今年50歳)。選手も環境も整い、監督も充実。そら、強いはずや」

 逆に言えば、PL学園でも智弁和歌山でも、高校野球の世界で10年を超えてトップを維持するのがどれだけ難しいかという話でもある。中学生の進路の流れ、指導者の異動、チーム内の空気の緩み、ライバル校の躍進......さまざまな要素によって、王者が王者であり続けることは容易ではない。

 そんなことを思いながら、春季大阪大会を戦っている西谷監督のもとを訪ねた。10連休真っ只中の5月3日。以前から「まだまだです」と語っていた西谷監督の顔は、いっそう厳しさを増していた。この日、大阪桐蔭は5回戦で近大付に1-6と完敗。春の大阪大会で大阪桐蔭がベスト8前に敗れたのは、じつに16年ぶりのことだった。西谷監督は言う。

「すべての面でまだまだ。夏は全国どころか、大阪を勝つ力もまだついていない。夏まで残り少ないですが、昨年秋に負けたこと、この春に負けたことを正面から受け止め、どれだけ意地を見せることができるか......。そこにかかっていると思います」

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