世界陸上で日本記録を出した為末大が振り返る銅メダル「当時のピーキングは『ドン』と大会に当てて一発を狙う感じでした」 (2ページ目)
――そんな万全な状態でむかえた初めての世界陸上エドモントン大会で、本当に銅メダルを獲得しました。
為末 決勝をうまく走れたのは、2日前の準決勝が大きかったんです。サンチェスに0秒03遅れの48秒10(日本新)だったんですが、最後は少し流した余力のある走りでした。全体では2番目の通過で、そこで明確に「メダルを獲りにいこう」という気持ちになりました。元々よかった調子が、現地に入ってさらによくなった感じでしたね。
――ピーキングはどう合わせたんですか?
為末 当時のピーキングは「ドン」と大会に当てて一発を狙う感じでした。1週間前の合宿でたくさん走り込んで、わざと疲労を溜めて、復活してきたところを当てるみたいなちょっと激しいやり方だったんですよね。それがハマったのが2001年で、たぶん陸上人生であそこが一番うまくいったのではないかと思います。
今はもう少しマイルドなピーキングをしていて、常にいい状態を保っている選手が多い気がします。
――当時、世界で歴代20人強しかいなかった47秒台(47秒89)に入ったのは驚きました。
面白い時代でしたよね。あの時の決勝は、アメリカ勢がいなくて決勝を走った8人全員の国が違っていたんです。今もあの時の決勝メンバーだけが入っているメッセンジャーのグループがあって、そこでおじさん達が会話をしています(笑)。
今はアメリカに住んでいるロシア代表だったボリス・ゴーバンから、「今度、息子が日本に行くから面倒を見てくれないか」という連絡があったり......。そういう他愛もない話ができる関係です。今考えても、世界で3番になったこのレースが、人生のなかでは大きかったです。
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