箱根駅伝で駒澤大が再び築き始めた黄金時代 継承される「大八木イズム」と戦術眼の正体 (3ページ目)

  • 生島 淳●取材・文 text by Ikushima Jun

【「変化と不変」の融合で新時代へ】

 黄金の2000年代を経て、2010年代は駒大にとって我慢の時代となった。山上りの比重増加による苦戦。そして青山学院大が台頭し、天下を取った。

 大八木監督は50代に入り、葛藤せざるを得なくなる。

 どうやったらもう一度、箱根駅伝で勝てるのか?

 ここから監督の指導スタイルが変わっていったことは、よく知られている。

 東京オリンピックのマラソン代表にも選ばれた中村匠吾(現・富士通)との出会いから、「対話」の大切さを感じ取る。

「自分がやりたいことを言ってこないからさ、匠吾は。私が質問しないことには、引き出せないんだから」

 トップダウン型の指令は、この時点で過去のものとなった。その後、2019年に青森山田高校から田澤廉(現・トヨタ自動車)が入学してくると、対話路線はさらに加速した。田澤は黙っているタイプではなく、自分の意見を素直にぶつけてくる青年だった。

「匠吾と接していたことが、田澤の指導にも役立ちました。何事も勉強、勉強」

 そして田澤が順調に成長し、2年生となった2021年、駒大は13年ぶりに総合優勝を手にする。しかも最終10区での大逆転劇。

「逆転の駒大」の遺伝子は生きていた。

 長くひとつの大会を見ていると、選手たちは変われども、こうした遺伝子は引き継がれていることがある。

 大八木監督の戦術眼は、令和の時代になっても有効だったのである。

 そして2023年は4区でトップに立ち、盤石の強さで8度目の総合優勝を達成した。

 前回のチームは大八木監督の「最高傑作」とも呼べるチームだったのではないか。病み上がりの田澤は必ずしも万全ではなかったが、エースに頼る必要はなかった。鈴木芽吹(当時3年)、篠原倖太朗(当時2年)が主力として成長し、チーム力の底上げに成功した。

 そしてまた、5区に山川拓馬、6区に伊藤蒼唯(ともに当時1年)を起用し、成功を収めたことにも驚かされた。特殊区間に1年生を起用するのは、通常はリスクを伴う。しかし、大八木監督は自信をもって1年生を送り出し、山川は区間4位、伊藤は区間賞を獲得した。大八木監督の選手に対する観察眼は磨きがかかっていた。

 2023年春、指揮官のたすきは大八木監督から教え子の藤田敦史へとつながれた。

 藤田監督となっても、出雲駅伝、全日本大学駅伝とすべての区間でトップを走り、そして箱根駅伝でも本命の地位は揺るがない。

 平成から令和へと時代は流れたが、駒澤大学は時代に合わせ、再び黄金時代を築き始めている。

プロフィール

  • 生島 淳

    生島 淳 (いくしま・じゅん)

    スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る