箱根駅伝で創価大学を頂点へ導く榎木和貴監督の戦略は? 中大時代は4年連続区間賞 (3ページ目)

  • 牧野 豊/取材・文 Text by Makino Yutaka

――東京国際大を箱根駅伝の常連校に育て上げた大志田さんは、当時からその手腕が光っていたのですね。

「練習の組み立てから精神面のアドバイスまで、細部に至るまでいろいろ指導していただきました。選手それぞれに、違うアプローチをしていたのが特徴で、それぞれの目的意識に合わせた形でコミュニケーションを取っていた。そういったところは自分が指導者になった今も、参考にさせてもらっています。

 また、当時は今の指導スタイルと違って、強豪校でも指導者が週2回か3回練習に来るくらいのスタイルでしたので、基本的に学生が自分たちで考えて、練習を組み立てていたことも貴重な経験でした。自ら考え、自ら実践していくことができないと目的である優勝を達成できないことを、身をもって感じることができたからです。

 私は今、40名近い選手を見ていますが、選手の数だけ実力も考え方も違いますし、目指す試合も変わりますので、選手の希望や適性をしっかり見極めながら、一人ひとりメニューをしっかりと考えていくことを心がけています」

【真のトップチームを目指して】

 榎木監督は中大卒業後、実業団の旭化成で競技を継続。29歳の時にチームを離れ、女子の沖電気をコーチという立場で指導しながら選手として走り続け、その後は男子のトヨタ紡織でコーチから監督として指導に当たった。しかし、実業団の指導では思うような成果を挙げることができなかったと言う。監督を辞した後は故郷・宮崎に戻り、トップレベルの競技とは距離を置く生活を送っていた。

 この時、陸上イベントで一般の市民ランナーやジュニア選手を指導することが主な業務になっていたが、「なぜ自分が実業団の指導者でうまくいかなかったのか、ものを伝える時は分かりやすい言葉でないと伝わらない」と、新たな発見もあり、その経験が創価大での指導の礎になったという。宮崎では2、3年過ごすつもりだったが、帰郷して1年経たない頃、箱根予選会で落選したばかりの創価大から声が掛かり、2019年2月から指導を開始することになった。

――創価大を引き受けた1年目からシード権を獲得中ですが、当初から高い目標を掲げて指導にあたっていたのでしょうか。

「前年の予選会が15位ですからシード権獲得も見えなかったですが、目標として掲げることはいいとは思っていました。監督を引き受けた時、学校側からは『5年くらいかけて強いチームに』と言われていましたが、引き受けたからには、1年目から学生たちを箱根に連れて行かなければという気持ちは強かったです。今年からコーチとしてチームに戻ってきた築舘(陽介)が主将を務めていた時で、選手たちの意思を確認すると『付いていくので(本戦に)連れていってください、お願いします』という熱い思いを感じ、それまでの取り組みで足りないもの、課題を洗い出して、ひとつのことをクリアしたら上方修正することを繰り返していきました。元々意識の高い選手が多いことは知っていたので、その点は1年目でもやりやすかったです」

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