「今度こそ文句はないだろう」大森盛一はアトランタ五輪のマイルリレー出場のため練習でも「一度でも負けてはいけない」と考えていた (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【アトランタ入り後も最後まで全力】

 そしてアトランタ五輪を迎えたものの、本当にマイルリレーを走ることができるのか、大森の不安は尽きなかった。

「リレーの前に出た個人の400m予選は、なんとなくフワーッと走ってしまって46秒30で敗退したのが心残りでした。ただ調子は悪くなかったですし、その時は宮川先生も個人戦の前とあとで何回かタイムトライアルをやらせてくれたんです。走ったのは、僕と田端、小坂田3人だけで、誰を走らせるか迷っている感じでした。そこでも僕はまだ安心せずに、全部でトップを取りました」

 集中力を保ち続けた大森は、念願のマイルリレーメンバーに入ることができた。予選では1走・苅部、2走・小坂田、3走・大森、4走・田端の4人で臨み、第5組1位で通過を果たした。タイム的には、準決勝を同じメンバーで走っても決勝進出の可能性は十分にあったが、ここで思わぬメンバー変更が行なわれた。

「同日行なわれていた4×100mリレーが予選で失格したことで、夜の準決勝には伊東(浩司)さんが入ることになり、田端が押し出されてしまったんです。多分、伊東さんは走りたくなかったと思います。『自分が走ることで誰かが走れなくなる』それをバルセロナで経験しているから、そうさせたくないという思いはあったでしょうね。

 僕も複雑でした。『なんで田端が外されるんだ』という思いとか、バルセロナで外された伊東さんと僕がアトランタで一緒に走れるのは感慨深かったり......。ただ、これまで外されてきた身として田端の気持ちがわかるからこそ、声をかけられなかったんですよね。彼は長崎の五島列島出身で、僕より小さい町のオリンピアンとして、地元の期待も大きかっただろうし、悔しい思いがあったと思います」

 メンバー発表は予選、準決勝、決勝のそれぞれウォーミングアップの前に行なわれ、3回とも緊張感があった。ここまで大森は3走を走っていたが、決勝だけはアンカーで名前を呼ばれた。

 その決勝で、大森も伊東も44秒台のラップタイムを出し、3分00秒76のアジア新を出して5位入賞を果たした。五輪での日本男子マイルリレーとして、64年ぶりの決勝ゴールだった。

「92年のバルセロナで走って満足していたら、4年後はなかったかもしれません。あの時は悔しかったけど、アトランタがあったのはバルセロナで外されたおかげだと、今は思います。僕個人としては45秒台に届かなかった悔しさはあるけど、五輪のマイルリレーで5位というのはうれしかったですね」

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