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箱根駅伝2区で日本人1位となった池田耀平 元野球部のエースがなぜ日体大でエースまで上り詰めたのか (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by アフロ

【日体大は箱根では弱小でした】

 2年目からは、「1年目をもう1回やり直す気持ち」を持って競技に取り組んだ。距離を踏み、ウエイトをこなし、20キロを走れる体を作ることに専念した。フォームも蹴るのをやめ、踏み込むようなピッチ走行にシフトした。その結果、故障なく、夏合宿を走り抜け、出雲駅伝1区(14位)で駅伝デビューを果たすと、全日本大学駅伝で1区(13位)、箱根駅伝でも1区(12位)で出走した。

「もともと単独で走るのが得意ではなくて、その成功体験もなかったので苦手意識が強かったんです。だから、集団で走る1区を走りたいという気持ちが強かったですし、そこを目標に取り組んできたのですべて1区を走れてよかったです。でも、すべてただ走るだけみたいな順位に終わってしまったので‥‥。特に箱根は1区を走れるうれしさがすごくあったんですが、全然戦えなかったですし、チームも13位に終わって悔しさしかなかったですね」

 大学3年時、池田は飛躍のシーズンを迎えた。

 2年からのウエイトや補強トレーニングが効果を見せ始め、5000m10000mでタイムが出るようになった。

3年時は、2年からのウエイトなどの継続ともう1度、スピードを取り戻したいと思ってトラックでスピードを磨いたんです。5000m13分台、10000mでも28分台を出せて、大学生としては上位の指標となるタイムを出せたことで、自信を持って箱根に臨めました」

 その頃、池田は「日体大のエース」と言われ、レースで注目される存在になっていた。だが、本人はそういう実感がほとんどなかったという。

「日体大は、箱根では弱小でしたからね(苦笑)。シード校の選手なら注目されたと思うんですけど、僕はそういうこともなく、自分のことだけに集中してやれていました」

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