帝京大・楠岡由浩が箱根駅伝の悔しさを糧に日本選手権5000mで躍動 チームの歴史を切り開くエースの意地
予選、決勝ともに力を出し尽くした帝京大・楠岡由浩 photo by Satoshi Wada
大学生ランナーの活躍が例年以上に目立った陸上日本選手権(6月12〜14日、パロマ瑞穂スタジアム)男子5000m。帝京大のエース、楠岡由浩(4年)は予選で自己ベストで組1着、決勝でも果敢に挑み10位に入った。
今年の箱根駅伝では花の2区を任されながら区間最下位に終わったが、ケガからの復活を遂げ、日本一を決める大舞台に初出場ながら、その存在感を大いに知らしめた。
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帝京大の楠岡由浩(4年)にとっては、今回が初めての日本選手権だった。
「これだけ観客が多いレースは初めて。スタジアムも大きいですし、歓声がすごくて、駅伝とは別のよさがあると思いました。走っていて楽しいレースでした」
これまでに経験したレースとはまた違った、こんな感慨があった。
その大舞台で「今の力を出しきりました」ときっぱり言いきれる自負はある。だからこそ、国内トップ選手との力の差を余計に痛感した。
「ハイペースになると思っていて、そこそこのペースでも余裕を持って走れていたんですけど、残り数周からのペースアップに対応できず、じわじわと離されるレースになってしまいました。経験の差もありましたし、シンプルに自分の力不足っていうことだと思います」
初出場で10位という結果は十分に健闘したように映るが、レースを終えて時間が経つにつれ、悔しさは大きくなっていった。
【箱根2区でのアクシデントからの復活劇】
もっとも、今年の箱根駅伝を振り返れば、楠岡が日本選手権のスタートラインに立っていること自体、奇跡のようにも思える。
昨年度、5000mと10000mで帝京大記録を打ち立てた楠岡は、今年の箱根駅伝で満を持して"花の2区"を担った。
しかし、レース中に思わぬアクシデントに見舞われる。6km付近で右の足底に痛みが走り、思うようにペースを上げられず、まさかの区間最下位に終わったのだ。
「レース中にケガをしてしまって、なかなかうまい走りができなかったんですけど、もしケガをせずに走っていても、(早大の)山口(智規)さんや(城西大の)ビクター(キムタイ)さんのような走りができていたかっていうと......。単純な力不足もあったと思います」
楠岡はケガを言い訳にせず、力のなさを認めていたが、右足底の痛みは部分断裂という診断だった。
思いのほか回復が早かったとはいえ、それでも走れるようになるまでには1カ月程度の時間を要した。つまりは、練習を再開した時点では、日本選手権まで約4カ月しかなかったということだ。「学生のうちに日本選手権を経験することに意義がある」と言葉にしていたものの、まだ出場する資格すら持っていなかった。
そのような状況から、楠岡の快進撃は始まる。今シーズンを迎えたばかりの頃は「まだ治りきっていない」と話していたが、そんな言葉とは裏腹に楠岡は好走を連発した。
復帰戦となった3月28日の国士舘大学競技会でいきなり自身の持つ帝京大記録を更新する13分43秒81をマーク。4月11日に行なわれた日本グランプリシリーズの金栗記念陸上では10000mで優勝を飾った。そして、4月27日のNITTAIDAI Challenge Gamesでは5000mで日本人トップ(4位)の快走を見せ、記録も13分32秒60と再び帝京大記録を更新。さらには、日本選手権の参加資格も突破した。
5月の関東インカレは、予選、決勝の2ラウンド制で行なわれる日本選手権を想定して、思いきって5000mと10000mの2種目に出場した(初日の10000mは7位だったが、4日目の5000mはさすがに疲労もあって15位だった)。一人1種目が基本方針の帝京大では異例のことだった。
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著者プロフィール
和田悟志 (わだ・さとし)
1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。


