【箱根駅伝 名ランナー列伝】村澤明伸 花の2区で見せた伝説の「17人抜き」とファンの記憶に残る最後の給水
村澤明伸は伝説の走りと最終学年のほろ苦い結末も含め、2区の歴史にその名を刻んだ photo by築田純/アフロスポーツ
箱根路を沸かせた韋駄天たちの足跡
連載18:村澤明伸(東海大/2010〜2012年)
いまや正月の風物詩とも言える国民的行事となった東京箱根間往復大学駅伝競走(通称・箱根駅伝)。往路107.5km、復路109.6kmの総距離217.1kmを各校10人のランナーがつなぐタスキリレーは、走者の数だけさまざまなドラマを生み出す。
すでに100回を超える歴史のなか、時代を超えて生き続けるランナーたちに焦点を当てる今連載。第18回は、花の2区で栄光と挫折の記憶を刻んだ村澤明伸を紹介する。
【1年目から10人抜きで度肝を抜き2年目の伝説へ】
長野・佐久長聖時代に5000mで高校歴代7位(当時)の13分50秒86をマークすると、3年時の全国高校駅伝は3区を日本人最高記録(当時)の23分38秒で走破。"最強チーム"の絶対エースとして君臨した村澤明伸は、東海大でも大活躍した。
1年時(2009年)はユニバーシアード5000mに出場すると、日本インカレ10000mで日本人最上位の2位。箱根駅伝予選会でも日本人トップに輝き、全日本大学駅伝は2区を区間2位と好走した。そして箱根駅伝は花の2区で鮮烈デビューを飾る。
「予選会で脚がつってしまったので、距離に対する不安がありました。2区は予選会と違ってタフなコースですし、少し計画的に走ったんです」
14位でタスキを受けると、先輩ランナーを次々と抜いていった。
「何人抜いたのかは、数えていません。そんな余裕はありませんでしたから。初めての2区ということで冷静にいけた部分もありますが、最後の3kmはきつかったですね」
1年生エースは10人抜きを達成して、1時間08分08秒で日本人トップ(区間2位)に輝いた。
2年時は日本選手権5000mで8位に食い込み、世界ジュニア選手権5000mでも8位。日本インカレ10000mはレース中に右足首を捻挫しながら、2年連続で日本人最上位となる2位に入った。全日本大学駅伝は最終8区で日大のガンドゥ・ベンジャミンに抜かれたが、区間2位の走りで、9位から5位まで順位を押し上げた。
そして箱根駅伝は再び2区に登場。20位でタスキを受け取ると、前年を上回る圧巻の走りを披露する。
「もう少し突っ込んでも大丈夫かなという感覚があったので、前回よりも速めに入って、そのリズムで押しきるイメージで臨みました。チームが最下位で来るとは思っていなかったのでびっくりしましたね。感覚的には、朝寝坊したときにパッと起きて、すごくカラダが軽かったときのようでした(笑)」
村澤は10kmを、当時の10000m自己ベスト(28分44秒23)を上回る28分20秒ほどで通過。「通過タイムに驚いてペースを落としても仕方がない。5km14分20秒くらいのペースで押していければいいかなと思って走りました」と攻め続けた。
「次々と前にターゲットが見えましたし、気象コンディションもよかったので、終盤のペースダウンはさほどありませんでした。それでも最後の3kmは脚がつるくらいきつかったですね。後ろから来るんじゃないかと怖くなったくらいです。何位でタスキを渡したのか把握していませんでした」
2年生エースは衝撃の17人抜きを演じると、区間歴代4位(当時)の1時間06分52秒をマーク。前年の全日本8区で1分05秒差をつけられたベンジャミンを抑えて、区間賞を獲得した。チームは総合でも4位に入り、村澤が最優秀選手に贈られる金栗四三杯を受賞した。
1 / 2
著者プロフィール
酒井政人 (さかい・まさと)
1977年生まれ、愛知県出身。東農大1年時に出雲駅伝5区、箱根駅伝10区出場。大学卒業後からフリーランスのスポーツライターとして活動。現在は様々なメディアに執筆している。著書に『箱根駅伝は誰のものか』『ナイキシューズ革命 〝厚底〟が世界にかけた魔法』など。


