箱根駅伝2区で日本人1位となった池田耀平 元野球部のエースがなぜ日体大でエースまで上り詰めたのか (4ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by アフロ

【最後の箱根は花の2区に】

 大学3年の箱根は1区を駆け、区間3位という結果を残した。しかし、チームは、総合17位に終わり、シード権を獲得することができなかった。

3年時の1区は、それまで練習でやってきたことへの自信を持って、うまく調子を上げていけたので、3位内を狙ったんです。そこで狙い通りにしっかりと3位内で走れたのは、自分には大きな自信になりました」

 大学4年は、チームに大きな変化が起きた。

 2年の途中に監督が不在になった後、長距離は専門的な監督を置かずに学生主導で部を運営してきた。ようやく、夏合宿前に玉城良二が監督に就任し、指揮を執ることになった。

「玉城さんが監督として来られるまで学生主体で考えてやっていたんですが、どうしても厳しさに欠けてしまい、練習でダラダラと走ったり、無意識のうちに妥協していたんです。でも、監督が来てからはしっかりと方向性を示してくれたので、すごくやりやすかったですね」

 玉城監督は、特別なことはせず、例えば朝のジョグは何も考えずに走るのではなく、ペースを早めるなど、練習の意味と意図を学生に説明し、取り組ませた。また、監督の指導で緊張が生まれ、チーム全体が引き締まり、戦うムードが醸成されていった。

 最後の箱根駅伝、池田は2区を希望した。

「最後はやっぱり2区を走りたいと思いました。チームでは中心でやってきましたし、そういう選手が2区を走るのは自然の流れ。自分がやらないと、という意識が強かったです。それに2区の準備をしていれば他の区間になっても十分に走れるので、夏から準備していました」

 12月、池田は日本選手権の10000mに出場した。箱根の本番1か月前、275852の自己ベストを更新するタイムを叩き出した。

27分台を出せて満足だったんですけど、レース自体は会心というわけではなく、先頭の相澤(晃・旭化成)さんは2718秒を出していたので、そういうところからは置いていかれたレースだったんです。それでもギリギリのところで27分台を出せたので、この結果でいいって感じでしたし、2区を目指す中、スピード強化の成果としてタイムが出て、気持ちよく箱根に向かうことができたので、ダメージはまったくなかったです」

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