箱根駅伝2区で日本人1位となった池田耀平 元野球部のエースがなぜ日体大でエースまで上り詰めたのか (5ページ目)
【無観客の箱根は忘れられない】
池田は2区を任され、6位で襷を受けた。4位集団から徐々に追い上げ、最後は名取燎太(東海大―コニカミノルタ)と激しい競り合いを演じた。
「順位も上がっていったので、最後の競り合いでは名取君に勝って、前で襷を渡しかったですが、最後はキツくなってしまって‥‥。名取君を始め、西山(和弥・東洋大―トヨタ)君、吉田(圭太・青学大―住友電工)君は同期でインターハイでは全然歯が立たなかったんですが、そういう選手になんとか勝ちたいと思って大学に入って、最後ひとつ形にできたのはうれしかったですね。それに2区で日本人で一番になれたのは、今までやって来たことに間違いがなかったということの証明になりました。チームの結果はもう一つでしたが個人的には、いい走りができたと思います」
池田が、3度走った箱根駅伝で一番印象に残っているのが、この時の箱根だ。
この大会を走った選手は、無観客レースという稀有な経験をしており、池田はコロナに振り回された末の箱根駅伝が強く印象に残っているという。
「コロナで合宿など、これまで当たり前に出来ていたことができなくなった中、箱根駅伝でスタートラインに立てたことは、本当にいろんな人のおかげだと思いました。レースは無観客になり、沿道から歓声がなくなって箱根駅伝という感じがしなかったんですが、そういう状況下でも走らせてもらえたということに感謝しないといけないと思いました」
箱根を走った経験は、池田のその後の陸上人生に、どんな影響を与えたのだろうか。
「最近、大学4年間、20キロという距離をこなしていくことが本当に世界のトップを目指す上で正しいことなのかとよく言われています。僕自身は箱根に魅力を感じて、それを目指し、その舞台でしっかりと戦えたという経験が、より高いレベルで戦いたいという気持ちに変えてくれた。それが今も走っているモチベーションになっているので、僕は箱根を目指して、走れたことは本当に良かったと今も思っています」
後編に続く>>「このままダラダラとトラックをやってていいのか」MGCは辞退もパリ五輪は目指す「2時間3分台は狙えるところにある」
著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。
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