「高橋尚子さんになりたい」マラソン安藤友香が「最後の大きなレースになるかもしれない」パリ五輪に秘めた決意
2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、女子選手たちへのインタビュー。パリ五輪出場のためには、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)で勝ち抜かなければならない。選手たちは、そのためにどのような対策をしているのか、またMGCやパリ五輪にかける思いについて聞いていく。
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パリ五輪を目指す、女子マラソン選手たち
~Road to PARIS~
第3回・安藤友香(ワコール)後編
前編を読む>>初マラソンで好走も停滞続き「MGCで最低のレースをしてしまった」安藤友香が10000mで東京五輪の舞台に立ったワケ
安藤友香は23年 1月の大阪国際女子マラソンで日本人トップの好走を見せたこの記事に関連する写真を見る
東京五輪のマラソン代表の座は逸したが、10000mの出場権を獲得した安藤友香。期待された中、レースではあまり見せ場を作れず、22位に終わった。
「これがオリンピックなのかって思いました」
安藤が感じたものは、MGCでも世界陸上でも感じたことがない特別な‶何か″だった。
「その何かっていうのは、言葉で表現するのは難しいですけど、スタートラインに立った時、もうめちゃくちゃ場にのまれたんです。その時は無観客じゃないですか。でも、国立(競技場)は椅子がカラフルで、視覚的にお客さんが入っているように見えるんです。あれ、今回は無観客だよねって思ってしまうぐらい人がいるように見えて‥‥。そのくらい緊張していたのかもしれないですけど、もし本当にお客さんが入っていたら緊張で押しつぶされていたと思います」
スタートして自分が駆けているトラックのレーンは、キラキラ輝いているように見えて、まるで日本じゃないような感覚に陥った。いつもなら30分はあっという間に終わるが、この時はやけに長く感じた。
「早く終われみたいに思って走っていました」
結果は出せなかったが、それを引きずることはなかった。安藤にとって主戦場はあくまでもマラソン。トラックでの五輪出場は、本当に奇跡のようなことであり、代表として出場させてもらったことだけで感謝しかなかった。
一方で、当時チームメイトの一山麻緒(現資生堂)がマラソンで8位入賞を果たした。その時は、思わず涙がこぼれたという。
「チームメイトなので、練習状況を知っていましたし、苦しんでいたのも知っています。そういう姿を見てきたので入賞した時は、私も泣けて、めちゃくちゃ勇気をもらいましたね」
東京五輪で安藤は、舞台が大きくなればなるほど、結果を残すことの難しさを実感した。
「テレビ越しに見ている世界はきれいですけど、そこに至るまでのプロセスは分からないじゃないですか。私も順風万端でスタートラインに立てたわけじゃないんですが、それを知っているのは自分だけ。周囲の人は知らないから期待する、そこで言い訳せずに自分の最高のパフォーマンスを発揮することの難しさを改めて知りました。みんな、簡単に結果を出しているように見えますが、血のにじむような努力を重ねているんですよ」
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著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。