「箱根駅伝に出るなら1区しか無理」2年連続区間賞を獲った東洋大・西山和弥だが区間決定は消去法だった (3ページ目)
「チームとしては3位以内が目標で、実際3位になれたんですが、それまでは『西山さんがいるから』ってみんなに言われていたんです。でも、最後は自分が低調で、誰も自分のことを当てにせず、西山はたぶん無理だろうから俺らで頑張ろうっていう感じで、みんな頑張ってくれたんです。それはすごくありがたかったですね。あと、15キロ地点で箱根を走れなかった大森(龍之介)から給水をしてもらったんですが、そこでのゲキは、すごく心に残りました」
大森は同期で、高校時代からお互いをよく知っていた。7区でなかなかピッチを上げられない西山は、給水の際、大森に「お前、何やってんだ。こんなところで終わるんじゃない。この先もまだ競技人生は続くけど、箱根はこれが最後なんだぞ」とゲキを飛ばされた。
「その時、今回の箱根はダメだと諦めかけていたんですが、その声で諦めちゃいけない。箱根もこの先もずっと最後まで諦めちゃいけないんだということを、その声で心に刻むことができました」
西山にとって、1、2年時の1区区間賞は自信になったが、相澤と同じチームにいて、背中を見て走れたことは「大きな財産」になった。また、箱根に臨む際、ハーフを走り、練習を積んだことが、その後の競技人生にプラスになった。
「箱根駅伝(の各区間の距離)はハーフの距離じゃないですか。自分はいずれマラソンで勝負したいと思っていたので、そのための土台と言いますか、マラソンを走るための基礎になったと思います」
それから2年後、箱根1区と同様に西山は鮮烈なマラソンデビューを果たすことになる。
著者プロフィール
佐藤 俊 (さとう・しゅん)
1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。
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