初マラソン日本選手最高記録の西山和弥は「ダメージが体全体に及ぶ」にもかかわらず、なぜ世界陸上→MGCへの出場を決めたのか

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 西村尚己/アフロスポーツ

2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。

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パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
~HAKONE to PARIS~
第17回・西山和弥(東洋大―トヨタ自動車)後編
前編を読む>>「箱根駅伝に出るなら1区しか無理」区間決定は消去法だった

大阪マラソン2023で、日本人トップの成績を収めた西山和弥(トヨタ自動車)大阪マラソン2023で、日本人トップの成績を収めた西山和弥(トヨタ自動車)この記事に関連する写真を見る 西山和弥がトヨタ自動車への入社を決めたのは、2019年のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)ですばらしいレースを見せた東洋大の先輩の勇姿に憧れたからだった。

「卒業後の進路を考えている時、MGCがあって先輩の服部勇馬(トヨタ自動車)さんの応援に行ったんです。ゴール付近で大迫(傑・ナイキ)さんを差した走りを見て、すごくカッコいいなって思ったんです。トヨタ自動車の多くの選手がマラソンに挑戦する、チームとしてのすごさと言いますか、強い選手がたくさんいるなかで、揉まれながら競技をしたいと思い、トヨタ自動車への入社を決めました」

 入社後はトラックからスタートしたが、なるべく早くマラソンにシフトしていきたいと考えていた。それは、東洋大4年の時に出場した日本選手権の10000mで28位になったレースの時から考えていたことだという。

「相澤(晃・旭化成)さんが日本記録を出したレースだったんですけど、4000mぐらいから離されてしまい、そこからは全然ついていけず、まったく勝負ができないまま終わってしまったんです。これじゃトラックで勝負できる可能性が低いなと思いましたね。でも、入社1年目の八王子ロングディスタンス(2021年)の10000mで、27分48秒26と思ったよりもタイムが出たので、この先、どうすべきか迷っていたんです。そんな時、西山(雄介・トヨタ自動車)さんが初マラソンで優勝されて、同期の星(岳・コニカミノルタ)くんも大阪・びわ湖毎日マラソンで優勝する姿を見て、マラソンで勝負するという気持ちが固まりました」

 社会人1年目で結果を出した星の走りに刺激を受け、西山は大阪マラソン(2023年)への出場を監督に相談した。

 だが、なぜ大阪マラソンだったのだろうか。

「東京マラソンだとキロ3分をきるペースなので、それだとさすがに不安があったんです。でも、大阪はキロ3分ペースだったというのがひとつ。あと、自分が生まれたのが大阪なので、初マラソンでお世話になった方々に走る姿を見せたいというのがあったので大阪を選びました」

 大阪マラソンでは、先頭集団のなかにいてレースを展開。35キロ地点で、残りをキロ3分ペースでいけば2時間6分だというのがわかった。うしろには池田燿平(Kao)がいたが、先頭を譲りかけた時、ペースが落ちた。牽制しあって7分台になるのはもったいないと思い、タイムを狙っていた西山は、そのまま前を突き進み、2時間6分45秒で初マラソン日本選手最高記録を樹立し、日本人トップ、総合6位のすばらしい結果を残した。

「自分のなかでは、かなりの手応えを感じました」

 西山はこのレースでMGC(10月15日開催)の出場権と同時に、ブダペスト世界陸上選手権(8月19 日開幕)のマラソン代表の座も射止めた。多くの選手がパリ五輪での出走を考え、五輪選考レースに重きを置くが、西山はあえて二兎を追うことを決めた。

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