初マラソン日本選手最高記録の西山和弥は「ダメージが体全体に及ぶ」にもかかわらず、なぜ世界陸上→MGCへの出場を決めたのか (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 西村尚己/アフロスポーツ

 その大一番を制するとパリ五輪が見えてくる。

「勇馬さんが、『五輪は他のレースとは全然違う重圧を感じた』とおっしゃっていたので、正直、五輪はどういうものか想像がつかないですが、東京五輪での勇馬さんや大迫さんの走る姿を見て、自分も出たい思いが強くなりました。今、自分にもそのチャンスがあると思いますし、五輪は憧れの大会から目標になりつつあります」

 パリ五輪で世界と勝負し、打ち勝つのは、MGCで勝つよりも難しい。だが、勝機がないわけではない。西山は、東京五輪での大迫の走りを見て、必要以上に追いかけずにうしろから淡々と抜いていく姿を見て、「こういう走りができないと世界では戦えない」と感じた。

「モスクワ世界陸上のマラソンに出た中本健太郎(安川電機)さんの記事を読んだ時、アフリカの揺さぶりに惑わされないで走ったというのがあったので、そういう部分もメダルを獲るには大事なことだと思いました。また、西山(雄介)さんからも昨年のオレゴン世界陸上に出た時、1キロとか2キロとかじゃなく、100m単位でペースが上がったり、下がったりするのを聞いたので、それを今回の世界陸上で経験できるのは、MGCを走る際はもちろん、今後のレースにもつながってくると思います」

 憧れから目標になったパリ五輪を走りたいのは、競技者として世界と勝負したい気持ちが大きいが、これまでに自分に尽くしてくれた多くの人への感謝の気持ちが強いからでもある。

「僕は大学の時、世界を目指したいと思った時にケガをして、競技を続けられるかどうかわからない状況があったんですけど、その時に大学のスタッフやチームメイトが僕を見捨てずにサポートしてくれました。トヨタ自動車では世界を目指そうというチーム内の雰囲気に引っ張られて、今回、世界陸上やMGCの出場権を獲得できました。それは、チームのみなさんや会社のみなさんの応援があったからです。そういう方々がいなかったら僕は今回、結果を出せなかったので、ふたつの大会では、僕のサポートをしてくれたみなさんにしっかりと恩返しがしたいと思っています」

プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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