「山の神になりたくて毎日練習していた」神野大地が明かす箱根駅伝秘話。きっかけは原晋監督からの「お前、すごいぞ」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

「あいつは山だけだ」と言われた

「4年の時は、箱根に向かうまでいろんなことがあって、苦難を乗り越えての優勝だったので、特別な思いがありました」

 4年時、神野は故障に苦しみ、戦列に復帰した直後、全日本大学駅伝ではアンカーを任された。トップの東洋大とは25秒差、大方の見方は神野が最後逆転して、青学大が優勝するだろうというものだった。だが、神野は失速し、逆に30秒もの差を広げられて東洋大に敗れた。

「この時は、かなり追い込まれて、陸上を辞めようかなとさえ思いました。SNSとかでも、『神野のせいで負けた』『ケガしていたのになぜ走らせたんだ』『あいつは山だけだ』とか、いろんなことを言われて、かなりしんどかったです。箱根も一時は諦めようと思ったんですが、最後に出ないと後悔すると思い、1か月半、必死で練習をしました。4年時の箱根は、落ちるところまで落ちて、それを乗り越えて、最後に優勝できたので一番喜びが大きかったですね」 

 神野は、大学を卒業後、1年半後に福岡国際マラソンを走ることになる。箱根を走ったことが、その後の競技人生にどのような影響を与えたのだろうか。

「よく箱根駅伝がマラソンをダメにするとか言われるけど、僕からすれば箱根がなかったら日本のマラソンはこんなに盛り上がっていなかったと思うんです。僕は、社会人2年目でマラソンに挑戦したけど、今は1年目や学生の時から挑戦する選手もいます。それは、箱根のために30キロ走とかを年間通してやっているからです。箱根がなければ大学で30キロ走なんて、絶対にやらないですからね。その距離の練習をしていたおかげで、社会人になってマラソンをやりたいと思った時、スムーズに移行できた。僕のマラソンのベースを作ってくれたのは、箱根なんです」

後編へ続く>>「山の神止まり」とは言わせない。神野大地が目指すマラソン日本代表への道

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