「山の神になりたくて毎日練習していた」神野大地が明かす箱根駅伝秘話。きっかけは原晋監督からの「お前、すごいぞ」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

「攻めの走り」を評価された

 2年生になり、神野は「人生の転機」となる瞬間を迎えた。

 4月、日体大記録会があり、関東インカレで1万mを走る予定の上級生の3人以外は、全員が5000mに出場することになった。神野は何の実績もなく、「発言できる存在じゃなかった」のでチームの流れに任せるしかないと思っていた。ところが神野が「1万mに出たいんです」と言った言葉をひとつ上の藤川拓也と川崎友輝が聞いており、ふたりから「ダメでもいいから監督に1万mに出たいと言ってみろ」と言われた。おそるおそる原監督に話をするとOKをもらった。神野の1万mの持ちタイムは30分16秒だったが、その記録会で29分01秒をマーク、チームのなかで一番いいタイムを出し、関東インカレの1万mへの出場を決めた。

「関カレは、すごい選手ばかりで前半から速いペースだったんです。そのなかで無名の神野大地が果敢に攻めるみたいな感じで。最後、タレてしまったんですけど、原監督からは『ああいう攻めの走りが大事だ』と高い評価を得て、それからチームの主力になれたんです」

 この時の攻めの走りが神野の卒業後の進路にもつながった。

「関カレの走りを見ていたコニカミノルタのスタッフから夏合宿に来ないかと誘われたんです。コニカミノルタは憧れの宇賀地さんが行ったチームで、自分のなかでは夢のような特別なチームでした。夏合宿に参加させてもらい、練習を100%やりきり、そこで、ほぼコニカミノルタに行くことが決まりました。高校の時の原監督との出会いといい、1万mをたまたま見ていたコニカミノルタの方とのつながりといい、奇跡的というか、ドラマみたいなことが起きて驚きましたし、僕の陸上人生の大きなターニングポイントになりました」

 大学2年は、自らの進む先が見えただけではない。競技者としての意識も大きく変わった転機になった。

「部員が多いと、練習でアピールしてもなかなかチームの代表にはなれないんです。その力を発揮すべき場所で発揮しないと評価されない。その意味では、記録会で結果を出したのが大きかったですね。それから自分の目指す目標がどんどん高くなって、箱根の2区を走っても区間賞獲れなかった悔しさを感じました。上には上がいるというのを感じて、そういう人たちに勝ちたいという気持ちになり、自分が頑張る源みたいになっていったんです」

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