「山の神になりたくて毎日練習していた」神野大地が明かす箱根駅伝秘話。きっかけは原晋監督からの「お前、すごいぞ」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 日刊スポーツ/アフロ

「3代目山の神」となりフォロワーが10倍に

 神野は、結果を出し、部内でのポジションを確立していったが、あくまでも大学レベル、チーム内のこと。神野の名前を全国区にし、その後につながる人生最大のポイントになったのは、5区を駆け、「3代目山の神」となった大学3年時の箱根駅伝だ。

 5区を走るきっかけになったのは、思わぬ結果からだった。

 山の練習時、神野の感覚としてはかなり遅く、このスピードでは2度と坂を走ることはないと思った。だが、ゴールすると原監督から「お前、すごいぞ」と言われた。神野は練習の段階でチームの誰よりも圧倒的に速かった。

「練習の時、これでいいの?って感じだったので、本気で走れば、もっと速く走ることができると思っていました。1、2年の時は山の神になりたいとかまったく思っていなかったんですが、『5区を任せる』と言われてからは、本番まで1か月半、毎日、山の神になりたいと思って練習をしていました。選手のなかには、そのために走ったんじゃないと山の神と言われることに違和感を抱く人もいるけど、僕は山の神になりたくて走ったので、そう呼ばれるのを待っていたという感じでしたね」

 5区での区間新の走り、青学大の箱根駅伝初優勝の影響力は、すごかった。それまで3000人だったツイッターのフォロワー数が箱根以降、3万人になった。外に出れば声をかけられることが増え、大学ではみなに知られる存在になった。

「僕は、注目されるのが嫌いじゃなかったです。陸上ってなかなか注目されるスポーツじゃないですし、しかも陸上選手はチャラチャラせずに真面目に走れみたいな感じで育ってきた。箱根ですごく注目されたのは新しい感覚でしたし、そういう刺激がうれしかったです」

 箱根駅伝は、自信、タイトル、人気など有形無形のいろんなものを神野に与えてくれた。4年時も5区を走り、箱根駅伝で2連覇を達成した。3回、箱根を走ったなかで一番印象に残っているのは初優勝を果たし、山の神になり、金栗杯も受賞した3年時だが、思い出深いのは4年時の箱根だという。

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