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為末大が語る「体罰問題」。選手と指導者の正しい関係とは? (3ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko photo by Yamamoto Raita

――遡(さかのぼ)ると大学進学時に法政大学を選ばれたのも自分でトレーニングメニューを選べるということからでした。高校を卒業する時点で、そこまで考えるアスリートはなかなかいないと思うんですが、そこまで思うに至った理由は?

「野心ですね。野心が強かったんだと思います、今振り返ってみれば。他の人より野心が強かった。そういう人間が世界ジュニアという国際大会を18歳のときに初めて体験するんですが、そこで世界のトップを見て、どうやったらここで自分が勝てるんだろうという方向に考えるようになった。そうすると、『普通の道では絶対にあそこまでいけないから、自分でやっていくしかない』というそんな発想だったんです。

 ここで体罰というものを考えてみると、本当にアスリートとして世界の高い所に目標を置くと、その(体罰という)手法では絶対到達できないですよね。人に殴られてやるのではなく、自分で自分のことをマネジメントしないとより高いところには行けない。僕が良かったなと思うことは、世界で勝負しようというアイデアが出てきて、自分でやるしかないという発想に至ったことですね。自分でこれを達成したいと思ってがんばるのがスポーツの魅力のひとつだと思うんです。

『お前の目標はこれだ、そのためにやるべきことはこれだ』と上から言われる、さらに懲罰みたいなもので追い込んでがんばらせる、というふうにしていると、どこにも自分がいなくなってしまう。自分で決めて、自分の力でがんばることにスポーツの良さがあると思うんですね。それは僕にとってはすごく重要なことだったんです」

――学ばない指導者は多い。悪しき経験主義に陥り、ふた言目には『俺の若い頃は』と言う。成功体験というのはそこで一度終わっているから、学ぶのを止めてしまったら教える事がなくなってしまう。

「陸上に限らず、伸び悩んでいる子も、指導者を変えたいと考えている選手も、突き詰めて行くと自立になるんです。自分をどう客観的に見るかですね」

――陸上競技の場合、数字というドライな部分と、勝つという勝負の部分。これは決してイコールでシンクロしない。この辺の駆け引きはいつ頃から身につけていったのでしょうか?

「最初のうちは、ただ速い人が勝つと思っていたのでもっとシンプルだったんです。でも、自分が速いレースをして勝つつもりだったのに、変な心境になって負けたとか、反対に勝てそうになかったのにバチッとハマって勝つこともあった。特にハードルではより一層それが影響するようになってきたんです。

 そして、どうも『速い』ということと『強い』ということは、ズレてるんじゃないかというアイデアが出てきた。それからどういうことが『強い』のかと考えた時に、自分がどういう心境でいれば良いのか、自分の認識はどうしたら良いのかとか、ということに思い至ったんです。それらをやっていくうちに、だんだん自分を俯瞰して眺めなきゃいけないというので、客観性が強くなっていったという感じですね」

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