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為末大が語る「体罰問題」。選手と指導者の正しい関係とは? (2ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko photo by Yamamoto Raita

――指導者の体罰が問題になっていますが、10代の選手はどう向き合うべきでしょうか。

「そもそも、自分は今日もスポーツをするということを自分で選んでいる、ということに気づくべきだと思うんです。スポーツを辞めるとか、違うスポーツをするという選択肢も実はある。指導者を変えるという選択肢も、難しいけれども実はあるんです。

 でも、『今日もあえてこの人の指導を仰ぐこと』を自分で選んでいる。このスポーツを続けることを選んでいるというのはすべて自分から始まっているんだということに気づけるかどうかは重要だと思います。昨日もやっていたから今日もするとか、特に考えもせず惰性で続けていくことを一旦止めてみて、『あえて選ぶ』という風に目覚めることがひとつ。

 もうひとつは『先生を尊敬する』というのは盲目的にすることじゃなくて、より良いものを協力的につくり上げるために立場が違うだけであり、『命令と服従』の関係ではなく、お互い話し合って決めていくということ。実は競技力向上のためにも、それが良い方法だと思うんです。

 実際に、僕の同級生も指導者になっていますけど、みんな試行錯誤している。それに、60代、70代の指導者も試行錯誤しているんです。だから、先生が正しいことを全部知っているというのは最後までありえないんです。正解はないんだけれども、コーチと選手の共同関係で決めていくしかないんじゃないか、いかにみんなで作り上げるということを体現するか。これは、いかに民主主義的感覚を作っていくかということに近いと思うんです」

――『命令と服従』ではない。陸上界の悲劇で言うと、自殺された円谷幸吉さん(1964年東京五輪のマラソン銅メダリスト)の「もう走れません」という遺言があった。国のため、誰かのためにがんばらなきゃというのが、ああいう悲劇を生んでしまったという気がします。戦前のテニス選手の佐藤次郎さん(1930年代に活躍。4大大会でベスト4に5回進出)も投身自殺という悲しい結末になってしまった。

 為末さんは大学卒業後、大阪ガスという大きなインフラカンパニーに入社するわけですが、その恵まれた環境では勝てないと思われたわけですよね。飛び出てヨーロッパの賞金レースに出続けるわけで、実際その選択は正しかったと思うんですが、今までやった人がいなかった。大きな決断をした理由は?

「まずひとつは陸上競技に生活がかかっている人と、生活が安定している人とでは、真剣さが全然違うと思ったんです。僕は性格的に、生活がかかっていないと出来ないと思ったというのがひとつ大きな理由。ただプロになって何かが起きた時に(陸上)連盟がバックアップしてくれるような感覚はなかったです。何かあった時に自分で解決しないとダメな道を選んだんだなというのは感じていました。

 ヨーロッパに行く時も、当時連盟からのつながりも特になかったので、自分でエージェントを探してやらないといけなかった。今考えてみるとそれで良かったんです。自分で全部やっていくことができた」

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