世界一のチームを支える車いすラグビー日本代表メカニックは、ミスから技術を磨いた「もう絶対に選手を裏切ることはしない」 (2ページ目)

  • 荒木美晴●取材・文・写真 text&photo by Araki Miharu

車いすラグビーに受けた衝撃

 川﨑さんが車いすラグビーに出会ったのは、前の職場である福岡市の障がい者スポーツセンターに勤務していた2014年。もともと競技のことは知っていたが、センターを利用していた車いすラグビーのクラブチーム「Fukuoka Dandelion(福岡ダンデライオン)」の練習や大会で実際にプレーを見て、「ヤバい」と驚いた。「面白い、という意味ではなく、日常の車いすに乗っている時はぎこちない動きをしている人たちが、こんな激しいスポーツをしてまたケガをしてしまわないか、という心配の気持ちが大きかったですね」と、当時の衝撃を振り返る。

 センターの職員という立場上、ひとつのクラブチームにだけ深く関わることはできない。そのため、パンク修理などできる範囲で手伝っていた川﨑さんは、そのうち勤務時間外にラグ車に乗るようになり、「自分のなかで、どんどん車いすラグビーが大きな存在になっていった」という。

 そこで、川﨑さんは思いきって当時の上司に相談し、「極めるまでやりたい」と意思を伝えると、「本当に最後の最後までやるんだったら、職員としてやってもいいぞ」と認めてくれた。その上司とは、障がい者スポーツの指導員の資格を持ち、陸上で数々の国際大会のコーチや監督として帯同してきた小手川郁人さんだ。

 その小手川さんから言われた『極めるというなら、覚悟を決めろ』という言葉を今も大切にしている川﨑さん。福岡ダンデライオンのメカニックとして活動しながら、「パラリンピックで金メダルを獲るチームをサポートする」という初心を形にするため、川﨑さんは一歩を踏み出した。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る