【競輪】トップ9からの陥落に「ふがいない1年」と語る清水裕友 その裏にあった病と意識改革を決意させた太田海也とのレース (5ページ目)
競輪祭での太田海也(5番車・黄色)と清水裕友(1番車・白) photo by Takahashi Manabuこの記事に関連する写真を見る
この力の差に清水は愕然とし、「意識改革が必須」と言葉に力を込めた。
「昔、『賞金王になりたい』という目標を立てたんですが、選手になって11年、『賞金王になるために何かをしたか』と問われると、自信を持って『これをやった』と言える強いものはなかったと思います。これまでと同じ気持ちでやっていたら、もうグランプリに乗ることも難しいと思っています」
清水に芽生えた猛烈な危機感。再びトップ選手として活躍し本気で頂点を目指したいという渇望が、今彼を突き動かしている。
「練習でも1本1本の意識はすごく大事だと思います。全力を出す練習のなかでもレースを想定したペダリングをするとか、ウォーミングアップでも体を温めるだけではなくて、可動域を広げてより動く幅を広げる意識を持つとか。今まで漠然とやってきたところがあるので、ひとつひとつ課題を持って取り組んでいきたいと思っています」
清水に取材した日は、午前から防府競輪場で選手たちが懸命にペダルをこいでおり、そのなかに、白いユニフォームを着た清水の姿もあった。取材前だったため見た目ではその心理をうかがい知ることはできなかったが、先頭に立って仲間たちをけん引する積極性に、何か感じるものがあった。
「無理やりにでも自分を奮い立たせないといけない」
取材の最後にこう語った清水。この言葉と練習に打ち込む姿に、清水裕友の新章がここから幕を開ける予感がした。
【Profile】
清水裕友(しみず・ひろと)
1994年11月9日生まれ、山口県出身。小学4年で自転車競技を始め、クラブチームで練習に励む。高校で自転車競技部に入ると、1年時にインターハイで優勝。3年時にはアジアジュニア自転車競技大会でケイリン2位、チームスプリント優勝し、ジュニア世界選手権にも出場する。高校卒業後に競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入学し、2011年、19歳の時にデビュー。2018年に初めて「KEIRINグランプリ」に出場すると、2021年まで4年連続で同レースへの出場を果たす。その間、S級S班として活躍し、2020年2月には全日本選抜競輪でGⅠ初タイトルを獲得。一旦はS級S班から陥落するが、2024年、2025年はS級S班として活躍した。
フォトギャラリーを見る
5 / 5









