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【平成の名力士列伝:碧山】仲間に支えられ春日野部屋の伝統を最後まで守り抜いたブルガリア出身の大型力士

  • 荒井太郎●取材・文 text by Taro Arai

持ち前の体躯を生かした押し相撲で名門部屋の伝統を守った碧山 photo by Jiji Press持ち前の体躯を生かした押し相撲で名門部屋の伝統を守った碧山 photo by Jiji Press

連載・平成の名力士列伝70:碧山

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、名門部屋の看板を守り続けたブルガリア出身の碧山を紹介する。

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【パワーを生かした押し相撲で輝き放つ】

 22歳の時にブルガリアから来日し、言葉や文化、風習がまったく違う異国の地で力士として名を馳せ、現役晩年は伝統をひとり背負いながら土俵を務めたのが、元関脇の碧山だった。

 もともとレスリングに打ち込み、国内トップクラスの実力を誇っていたが、同国出身初の力士であり、当時現役だった大関・琴欧洲に誘われ、平成21(2009)年7月場所、田子ノ浦部屋から初土俵を踏んだ。

 入門時にすでに189センチ、150キロの堂々たる体躯を有し、レスリングで磨かれた格闘センスもあって初土俵からわずか2年で関取に昇進。十両を2場所で通過すると、巨体を利した強烈な突き放しを武器に、新入幕の平成23(2011)年11月場所は11勝4敗で敢闘賞を受賞する活躍ぶりだった。

 快進撃の一方で年が明けた2月13日、師匠の田子ノ浦親方(元幕内・久島海)が46歳の若さで逝去すると部屋は閉鎖。碧山は同じ出羽一門の春日野部屋所属となった。移籍後も勢いは止まらず同年9月場所は、新三役となる小結に昇進した。1場所でその座を明け渡したが、その後もほぼ横綱、大関陣総当たりの地位に定着し、平成26(2014)年11月場所は新関脇で勝ち越し。翌場所は5勝10敗で平幕に逆戻りしたが、持ち前のパワー全開の押し相撲は上位陣にとって脅威であった。

 平成29(2017)年7月場所は自己最速の9日目に勝ち越しを決めるとさらに白星を重ねていき、横綱・白鵬と千秋楽まで優勝を争って13勝をマーク。優勝決定戦進出の可能性があったが、1敗の白鵬が結びで横綱・日馬富士に勝って逃げきり、賜盃は最強横綱の手に。自身は新入幕場所以来、34場所ぶりの三賞となる2度目の敢闘賞を受賞した。

 三役復帰も期待されたが、左膝や右足首の負傷が重なって2場所連続休場を余儀なくされ、平成30(2018)年1月場所は37場所連続で在位した幕内から陥落。十両からの出直しとなったが1場所で幕内に返り咲くと、1年後の3月場所は白鵬らと優勝を争って12勝。3度目の敢闘賞も受賞し、翌5月場所は約4年ぶりの三役復帰となる小結に返り咲いた。

 結局、この場所が最後の三役の場所となったが、前頭13枚目で迎えた令和2(2020)年3月場所は初日から6連勝を飾り、「相手がよく見えているし、落ち着いている。焦りはない。稽古場みたいで集中もできている」と好調宣言。コロナ禍により無観客開催となったこの場所、どちらかと言うと稽古場の力がなかなか本場所で発揮できずにいた男は、伸び伸びと自分の相撲を取りきった。

 全勝の白鵬は10日目に土。12日目には2敗目を喫するとこの日、御嶽海を押し出して11勝目を挙げた碧山はついに単独トップに立った。だが、重圧が一気に襲い掛かったのか、翌日から3連敗で大失速。初賜盃は逃したものの正攻法の突き押しが評価され、初の技能賞を獲得した。

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著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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