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【平成の名力士列伝:把瑠都】28歳で土俵を後にしたエストニア出身の「未完の大器」 大関まで上り詰めた実力と引退後の活躍につながるバイタリティ

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

恵まれた体躯を武器に豪快な相撲を見せた把瑠都 photo by Jiji Press恵まれた体躯を武器に豪快な相撲を見せた把瑠都 photo by Jiji Press

連載・平成の名力士列伝66:把瑠都

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、スケールの大きさで人気を集めた把瑠都を紹介する。

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【初土俵から「怪物」ぶりを発揮】

 勝負に「たら・れば」を持ち込んでも無意味なことだが、エストニアからやって来たこの男が、大ケガに見舞われることなく力士生活を全うしていたら、白鵬の優勝回数も激減していたかもしれない。素質からいけば、史上最多の優勝回数を誇る横綱にも優るとも劣らなかった。

 少年時代は柔道で国内ジュニア王者になり、並行して取り組んでいた相撲でも2002年にユーロ・ジュニア選手権で2位にも輝いた。

 私生活では16歳の時に父親を亡くし、高校卒業後はナイトクラブの用心棒として生計を立てていた苦労人のもとに、日本で相撲をやらないかという話が舞い込んできた。

 欧州での活躍ぶりが日本の相撲関係者の目に止まり、即決。大相撲入りの希望を伝えると、まずは日大相撲部で2カ月間、基礎を学び、当時現役だった元小結・濱ノ嶋の内弟子となり、平成16(2004)年5月場所、19歳で三保ヶ関部屋から初土俵を踏んだ。

 入門時で身長197センチ、体重141キロと申し分ない体格でデビューから17連勝。初土俵から所要8場所のスピード出世で平成17(2005)年9月場所、関取に昇進した。新十両場所も12勝の好成績を収めるも、翌11月場所は初日の朝に虫垂炎を発症して不戦敗。手術を受けてこの場所は全休し、幕下に逆戻りしたが、1場所で関取に返り咲いた平成18年3月場所は他を寄せつけない圧倒的な強さで北の富士以来、42年ぶり4人目となる15戦全勝で十両優勝を成し遂げた。

 年6場所制以降では史上2位タイ(当時)の早さとなる前相撲から所要12場所で新入幕を果たした翌5月場所も快進撃は続き、持ち前の"規格外"の相撲で大いに躍動。12日目の岩木山戦では相手の背中越しに右上手を引くと、そのまま捻るように波離間投(はりまなげ)を決め、177キロの巨漢をいとも簡単に右腕一本で転がし、観衆の度肝を抜いた。翌13日目は朝赤龍を右四つがっぷりの体勢から高々と吊り出し、1敗で優勝戦線のトップを走る新大関・白鵬、関脇・雅山を1差で追走した。新入幕優勝の芽もあったが、残り2日は両者との直接対決に連敗して大快挙はならず。それでも11勝4敗で敢闘賞は文句なしの受賞となった。

 入幕2場所目の続く7月場所は琴欧洲、千代大海の2大関を撃破して9勝。場所後に独立した元小結・濱ノ嶋の尾上部屋に移籍した。

 相撲ぶりはセオリー度外視の力任せのところがあったが、親方衆は異口同音に「相撲を覚えたら末恐ろしい」と語っていたものだ。無限の可能性を秘めていた"エストニアの怪物"だったが、前頭筆頭で迎えた9月場所10日目の雅山戦で左膝を負傷して翌日から休場。内側側副靭帯と前十字靭帯を損傷するこの大ケガが、"怪物"のこの先の相撲人生をしばしば苦しめることになる。

 その後も同箇所のケガで2度の十両落ちを経験。3度目の入幕となった平成19(2007)年11月場所は終盤で横綱・白鵬、大関・千代大海とともに優勝戦線のトップを走る活躍で11勝を挙げ、「ここまで勝てるとは思っていなかった」と2度目の敢闘賞受賞に満面の笑みだった。

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著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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