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【競輪】トップ9からの陥落に「ふがいない1年」と語る清水裕友 その裏にあった病と意識改革を決意させた太田海也とのレース (3ページ目)

  • text by Sportiva

ひとつずつ階段を上ってきた清水 photo by Ikeda Seitaroひとつずつ階段を上ってきた清水 photo by Ikeda Seitaroこの記事に関連する写真を見る

【苦闘からのブレイク】

 デビュー開催はすべて1着の完全優勝で制したこともあり、その後も順風満帆な道を歩むかに見えたが、意外にもデビュー後は苦闘の連続だった。

「高校の時の競技の"ケイリン"と"競輪"の違いにすごく戸惑いました。別物だなと。競輪だと前に出た瞬間に脚がいっぱいで、こんなに脚が削られるのかと、想像より何倍もきつかったです」

 それでも持ち前のポテンシャルの高さで着実に結果を出していくと、2年後の2016年2月にはS級に昇級。しかしここでも壁が立ちはだかる。

「何をしても勝てなくなりました。A級では先行して粘れたものが、S級で先行すると簡単にまくられる。だったら、自分がまくりに構えようとするとまくれない。本当にどうしていいかわからない状態が半年くらい続きました」

 勝てない日々が続いた結果、再びA級に降格してしまう。「その頃から師匠の國村洋さん(山口・80期)に早朝バイク誘導をしてもらいました」と練習量を上げるとともに意識も変化させた。

「どうせ勝てないんだったら先行したほうが力がつくと思って、先行するようになりました。勝ちたいという意識から、レースでしっかりと力を出し切ろうという意識になって成績はよくなりました」

 それが2018年の好成績につながっていく。本人も「ミラクル」と表現するほど、まさにブレイクスルーを体現した1年だった。10月に寬仁親王牌で初のGⅠ決勝に進出すると、11月に地元で開催された周防国府杯争奪戦(防府記念)でGⅢ初優勝を飾る。さらに同月の競輪祭でも決勝に進み3着に入った。

「脚力が格段に上がった感覚はなかったんですが、初めてGⅠに出た時に、まったく勝てない相手ではないなという感覚はありました。自分の得意なことをすれば勝負になるかもしれないと。そこから自信がつき始めましたね」

 2018年、24歳にして初めて「KEIRINグランプリ」に出場すると、そこから2021年まで4年連続で出場を果たす。若手期待の選手、そしてS級S班として堂々たる走りを見せ、競輪界を代表する選手のひとりとして君臨していた。

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