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【競輪】トップ9からの陥落に「ふがいない1年」と語る清水裕友 その裏にあった病と意識改革を決意させた太田海也とのレース (4ページ目)

  • text by Sportiva

包み隠さず今の心情を語る清水 photo by Ikeda Seitaro包み隠さず今の心情を語る清水 photo by Ikeda Seitaroこの記事に関連する写真を見る

【訪れたターニングポイント】

 しかし清水はこのS級S班で走った輝かしい4年間を今こう振り返る。

「2018年に(S級S班に)上がってから本当に勢いだけで走っていたような感覚があります。2020年に初めて(全日本選抜競輪で)GⅠタイトルを獲ったんですが、このタイトルを獲るにあたっても苦労はしていないと思うんです。『やっと獲った』という感覚もなかったですし。このタイトルで、気持ち的にひと息ついてしまった感じがあって、そこからよくないです。このまま行くとタイトルを獲って満足してしまった人間になってしまいますね」

 この言葉が示すように、最初のGⅠタイトル獲得以降、GⅡタイトルは3回獲得しているものの、GⅠタイトルはゼロ。それは「勢い」が衰えたからなのだろうか。

 清水は自分の性格を「よくも悪くも気分屋」と評する。「調子のいい時はいいんですが、不調になるとそこから抜け出せない」という。短期的に捉えると、「初日で変な負け方をすると、それがその後に尾を引いてしまう」そうで、事実、今年のGⅠオールスター競輪では初日から6着→8着→9着、競輪祭では初日から7着→6着と、立て直せないまま決勝への道を絶たれている。

 現在31歳の清水は、年齢的にもこれまで成長期であり、大きな好調の波に乗って来られたのかもしれない。しかし2025年の1年間は、年始の病気のこともあり、年間を通して不調の渦から抜け出せなくなってしまっていたようだ。

 そんな清水にとってターニングポイントとなる決定的なレースが訪れた。それが冒頭の競輪祭3日目だった。

「レースの負け方にすごくショックを受けました。太田君のスピードについていけなくて、普通にちぎれてしまった。(S級S班からの陥落よりも)そのショックのほうが大きかったです。それまでは脚力差を感じても(病気から)体がよくなればなんとかなるだろうという甘えた気持ちがありました」

 太田海也(岡山・121期)はナショナルチーム所属の26歳で、これからの競輪界を背負って立つ若手のホープ。競輪祭でのレースはその太田の後ろに清水がついていた。しかし最終周回に入ったところで徐々に離されると、最後は太田と2車身ほどの差をつけられ、6着に沈んだ。

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