競輪・深谷知広が「40歳で引退」と語る真意 若手ともがいた今夏の練習で芽生えたある心境とは (2ページ目)
【「平成の怪物」がふたつの史上最速を記録】
競輪学校(現:日本競輪選手養成所)を経て2009年7月、19歳の時に晴れて競輪選手になる夢を叶えると、デビュー開催でいきなり1着を連発して優勝。そこから6場所連続完全優勝し、わずか56日でS級へ昇級を果たす。これは史上最速での快挙だった。
「デビュー前は不安でしたが、早くS級にいって勝負したいと思っていたので、A級のレーサーパンツも1枚しか買いませんでした」
目標の大きさと不退転の覚悟が伺える。この強い気持ちはさらに大きな結果を引き寄せた。デビューから2年後、21歳の時に高松宮記念杯競輪でGⅠ初制覇を果たしたが、これも史上最速の記録。まさに偉業と言えるものだった。
「前年の(GⅠ)競輪祭で初めて決勝に乗っていて、このGⅠは2回目の決勝でした。絶対に優勝したいというよりは、まずは自分の形を作ろうと考えた結果、恵まれました」
本人は「まだ優勝を明確に目標に持てる時期ではなかった」と言うが、デビュー当時から大きな注目を集め、その圧倒的な活躍ぶりから『平成の怪物』という異名もつけられていたほどだったため、深谷がタイトルを獲ることも何ら不思議ではなかった。
深谷はGⅠ初制覇の2011年から2014年まで4年連続で最高峰のレース「KEIRINグランプリ」に出場するなど安定した結果を残し、競輪界を代表するスター選手として脚光を浴び続けていた。
深谷は若くしてスターダムにのし上がる photo by Takahashi Manabuこの記事に関連する写真を見る
2 / 5

