競輪・深谷知広が「40歳で引退」と語る真意 若手ともがいた今夏の練習で芽生えたある心境とは
競輪界をけん引してきた選手のひとり、深谷知広 photo by Gunki Hiroshiこの記事に関連する写真を見る
【衝撃的な「引退」の二文字】
深谷知広(静岡・96期)の取材が終盤に差し掛かったころ、競輪人生における目標を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「満足して引退すること」
本人の言う「満足」とは何を指すのか。さらに掘り下げて問うと......。「理想は40歳で引退」と言葉を選びながら静かに語った。現在35歳の深谷。年明け早々には36歳になる。もう残り少ないではないか。
一般的に競輪は選手寿命が長い。男子の平均年齢は約39歳と言われ、還暦を過ぎても走り続けている選手もいるほどだ。50代でも第一線で活躍している選手はざらにいる。競輪界屈指の実力を誇る深谷の口から今、そんな言葉が出てくるのは驚きだ。なぜ引退の二文字が頭をよぎるようになったのか。深谷のこれまでを振り返りつつ、そう語る理由も探ってみた。
【競輪選手が夢】
愛知県で育った深谷は競輪ファンの父親に連れられて、よく名古屋競輪場に足を運んでいた。
「覚えているのは、入り口でお菓子をもらったとか、8番車のピンクがかっこ悪いなとか(笑)。自分は物心がついた頃から車が好きで、カタログを見たり、従妹の車に乗せてもらったり、トミカで遊んでいたりしました。トミカを持った写真も残っています。それだけ車が好きだったので、親からは『かっこいい車を買いたいなら競輪選手になれば買えるよ』と言われ続けてきました。だから周りの友達がプロ野球選手やサッカー選手の夢を語るなかで、自分は競輪選手になりたいという夢を持っていました」
小学生時代には友達と自転車レースをしたりして遊び、競輪選手になりたいという夢も周囲に語っていた。その体づくりとして陸上、水泳、ウエイトトレーニングも行なっていた。中学では陸上部に所属していたが、「ママチャリで走り回ったり」して競輪選手のイメージを膨らませ、中学3年でロードバイクを買ってもらうと、ダッシュを繰り返したり、長い距離を走ったりして、ひとりでトレーニングを積んだ。
高校から自転車競技を本格的に始めると、そのアドバンテージが生き、いきなり全国レベルの選手となった。
「みんな高校から自転車を始めるので、その前に準備している人がいなかったと思うんです。自分は(練習を)やってきたので、高校1年の時には東海大会で上位に入りましたし、インターハイにも何種目か出ました」
その実力が関係者の目にとまり、高校2年の時にはジュニアのナショナルチーム入りを果たす。「3年生と一緒に走っていた」と言うように飛び級での加入だった。高校3年時には、ジュニア世界選手権大会1kmタイムトライアルで13年ぶりにジュニア日本記録を更新するなど将来を嘱望される選手となった。
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