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【大相撲】"鉄人"玉鷲が打ち立てた歴代1位の通算連続出場回数 これまでの歩みとその相撲哲学「一日一番という言葉は好きじゃない」 (2ページ目)

  • 飯塚さき●取材・文 text by Iizuka Saki

【長く取れるのは「自分だけの体じゃない」から】

――もうすぐ40歳になる関取ですが、長く取れている秘訣は?

玉鷲 突き押しという型とか、師匠(片男波親方、元・玉春日)が基本を大事にと教えてくれたこと、両親が丈夫な体に生んでくれたこともありますかね。あとは自分の相撲に対する考え方で、一日一番の考えだと、片足で無理して粘ってっていうことをしてしまうけど、次のことも考えて、負けるときはあっさり。その代わり、自分が負けたこと、弱くて負けたということをしっかり納得する必要があります。

 それと、私には愛する家族がいます。つまり、自分の体は自分だけのものじゃない、家族の体なんです。それを無事に返してあげないといけない。だからいつも場所から帰ってくると、「無事に返したよ」って言っているんです。

――いい表現......じーんとしちゃいます。相撲未経験で大相撲界に飛び込んだ最初のとき、まさかここまで活躍していると思っていましたか。

玉鷲 全然。最初は、肉まんみたいな太った人がやっているんでしょって、ナメていたんです。でも、入った瞬間に衝撃を受けた。触らなくても、見ただけでものすごい筋肉だってわかったんです。でも、いつか自分もこうなるって思い続けました。モンゴルで、1カ月で10kg増やして体重を110kgにしてから入門して、最初の半年は相撲を取らず、ずっとスクワットとか運動をしていました。

――つらいことも多かったと思うのですが、どう乗り越えたのでしょうか。

玉鷲 入ったからには、両親の名を汚したくないという気持ちでした。あの家の息子、結局ダメで帰ってきたよ、なんて言われたらと思うと、その苦しみは自分の稽古のつらさよりも上にありましたから、稽古は全然苦しくなかったですね。

 ちなみにモンゴルでは、大相撲の放映が幕内だけなので、十両でも関取だと思われていない節があるから、幕内に上がったら帰ろうと思っていたんです。入門して5年目、十両2枚目で勝ち越して、「絶対、次は新入幕だ」と思って5月場所後にモンゴルに帰りました。そしたら、「(十両)筆頭ですよ」って。きつかったですね(笑)。

――十分、立派なのに......。これまで、相撲を辞めたいと思ったことはありますか。

玉鷲 はい、26、27歳くらいの頃、幕内と十両を行ったり来たりしていた時期です。最初は、勝ち越したことを母から電話で「おめでとう!」と言ってもらっていたんですが、徐々に連絡頻度が低くなってきました。その瞬間、ああ自分はもう必要とされていないんだっていうのが寂しくて、何のためにやっているんだろうと、心が弱くなりました。

――それはどうして乗り越えられたんですか。

玉鷲 師匠から厳しい言葉を毎日いただいたからです。稽古も本当に厳しくて苦しかったけど、たくさん、たくさん話して。それで、ある時に変わった実感があったんです。やればやった分、強くなる。あれ、俺のこの右手、こんなところまで飛ばせたんだ、とかね。そうしたらだんだんまた楽しくなってくる。その頃から、自分の体と対話することが大事だなとも思うようになりました。

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