【大相撲】"鉄人"玉鷲が打ち立てた歴代1位の通算連続出場回数 これまでの歩みとその相撲哲学「一日一番という言葉は好きじゃない」 (3ページ目)
【「運は作るもの」の真意とは?】
――これまで、さすがに休場しないといけないのでは、と思うようなことはありましたか。
玉鷲 ありますよ。ヒザの内側を打って、触るのも立つのも痛い。朝起きても紫色で痛いままだったので、部屋へ行って師匠に「休場していいですか?」と聞いたら「ここまでどうやって来たんだ? 歩いて来たんだろう? じゃあ、大丈夫だ」って(笑)。
――すごい理論ですね......(苦笑)。
玉鷲 その後、まわしを着けていろんな立ち合いを試して、そこからまた強くなった。こういうきっかけってたくさんあるんです。ケガは、体の使い方が下手だからするもの。ケガをしたら、じゃあ、違う体の使い方をしようとなって、また強くなるんです。
あともうひとつ、痛みって、その人にしかわからないじゃないですか。自分の痛みと人の痛み、それがどれくらいなのかは比較できない。測れるなら測ってみたいですよね。だから、自分は痛くても、たいしたことはないんじゃないかって思うことのほうが多いんです。それも(連続出場を続けられた理由でも)あるかな。
――痛みに強いんですね。運のよさも感じたりしていますか。
玉鷲 運はね、作るもの、感じるものです。人間の運は、だいたいみんな同じ量と決まっていて、それをどこで、どううまく使うかが大事だと思っています。たくさん苦しみがあったら、ほんのちょっとのいいことがあれば、それを大きく喜べるでしょう? それでいいんです。
師匠は、こんなことも教えてくれました。遊んでもいいから、遊ぶときはしっかり遊ぶ。そのあとはたくさん稽古する。適当に遊んだら、稽古も適当になるから、しっかり楽しんで、しっかり苦しむ。若い衆の頃に、そうやって教えてもらったのはとてもよかったですね。
後編〉〉〉
【Profile】玉鷲一朗(たまわし・いちろう)/1984年11月16日生まれ、モンゴル・ウランバートル出身。身長189cm、体重178kg。片男波部屋所属。本名・玉鷲一朗。相撲経験なしで19歳の時に角界入りし、初土俵は2004年1月場所、新入幕は2008年9月場所。2015年3月場所で新三役となり小結に、2017年1月場所から自身最高位の関脇に昇進。その後、番付を上下しながら連続出場を続け、2019年1月場所では34歳2カ月で幕内初優勝、2022年9月場所では昭和以降では最高齢の37歳10カ月で2度目の優勝を飾った。2024年9月場所3日目で初土俵からの連続出場記録を1631回として歴代1位となり、その記録を1643回まで伸ばして、11月場所を迎える。
著者プロフィール
飯塚さき (いいづか・さき)
1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)、Yahoo!ニュースなどで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書に『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』では構成・インタビューを担当。2024年1月3日、TBS『マツコの知らない世界 新春SP』に貴景勝らと出演し、ちゃんこをはじめとする絶品「相撲メシ」を紹介した。
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