スキージャンプ界のレジェンド、50歳の葛西紀明が明かす「モチベーション維持」と「もうひとつの夢」 (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by MATSUO.K/AFLO SPORT

【モチベーションは?】

 そう思えるようになったのも、長い期間いろいろ悩んだり苦しんだりしながらも、14年ソチ五輪シーズンには復調し、「まだこの年齢でも世界で活躍できる」という手応えを感じ、7回目の五輪でやっと個人のメダルを手にできた経験があるからだ。そんな葛西は今、ジャンプを続けるモチベーションをこう明かす。

「今もあの頃と体もそんなに変わらないし、問題は技術の部分だけだと思う。『これで調子が上がってきて、また世界で戦えるようになったら、これまでも海外の舞台で応援してくれていた人たちはどういう反応をしてくれるのだろう』という楽しみがありますね。それが一番のモチベーションかもしれません。今でも海外の合宿に行くと、『ノリアキ・カサイ!』と声を掛けてくれるから、僕がもし試合に出て『50歳の葛西が飛んでくるぞ!』となったら、すごく盛り上がるんじゃないかと。その声援を聞きたいですね」

 そんな葛西にはもうひとつ夢がある。身体能力の高さと感覚の鋭さを認めて「あんな動きはできない」とまで思っている小林陵侑と、自分が絶好調になって自信を持てたときに戦い、どのくらいのレベルの違いがあるかを知りたいということだ。一方で、それが実現したとしても、気持ちが燃え尽きることはないだろうとも言う。

「もし(2030年に)札幌五輪が実現したとしてもその時は57歳だから、そこまでいったら60歳までいきたいと思うでしょうね。大きなケガや病気をしたら終わりだと思うけれど、去年の年明けは体重を落とすために絶食もしたし、今年の札幌のコンチネンタル杯の前も朝晩走って、食べずに減量していて。走っている途中に『俺、なんでこんなに走っているんだろう』『すごいな、俺。まだ気持ちは衰えてないんだな』と思いました(笑)」 

【後編】葛西紀明が語るジャンプスーツ問題>>

profile
葛西紀明(かさい のりあき)
1972年6月6日生まれ。北海道・下川町出身。オリンピックには1992年アルベールビル大会から2018年平昌大会まで8大会に出場し、2014年ソチ五輪ではラージヒル個人で銀メダル、団体で銅メダルを獲得。W杯の個人出場回数は569回でギネス記録となっている。所属する土屋ホームでは、2009年から選手兼監督として小林陵侑や伊藤有希とともに世界を目指している。

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る