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小平奈緒の駆け抜けた競技人生。「記憶に残る大会は?」の問いに「次のレースが最高のレースになる」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

北京五輪の感想は「言葉が見つからない」

 そんな北京五輪を小平は、過去3回の五輪も踏まえてこう話した。

「五輪は4回とも、『スポーツってなんだろう』と考えさせてもらえた機会でした。以前、バンクーバーは成長、そしてソチは屈辱、平昌はまた成長の五輪だったと話したことがありますが、今回の北京に関してはなかなか言葉が見つからないし、今でもどんな五輪だったかを振り返っているところです。ただ、いろんな方から手紙をいただいて、それぞれの人生観を通して私の五輪での姿を見た思いを伝えていただいた時、五輪はすごく結果が大きな大会だとは思うけど、その方たちにとっても私にとっても、今回の五輪はスポーツのまた違う一面が見られた五輪だったのではないかなと思いました。自分の状況を受け入れるにはすごくエネルギーが必要ですが、人としていろんな思いを巡らすことができた。それが今回の北京五輪だったかなと思います」

 小平は「スポーツは、それぞれの人にとっての人生を豊かにするものであってほしい」という願いを持ってスケートを続けてきたと言う。その思いを、競技生活を続けるなかで届けられたのではないかという事実。そして苦しんだ北京でもありのままの姿を示すことができたことは、自分がスケートをやってきてよかったと思う部分だと。

 ただ、見ている側の欲かもしれないが、500mの世界記録を出し、私たちに新たな世界を見せてほしかったという思いも残った。平昌五輪で優勝した時期は、まさにそれに手が届かんとした時だった。小平自身も、06年トリノ五輪の1500mで優勝した直後に世界記録を連発したシンディ・クラッセン(カナダ)のように、五輪を駆け抜けたいと話していた。

 そのチャンスは、平昌五輪の翌シーズンに巡ってきた。最終戦のW杯ファイナルが高速リンクのソルトレークシティー開催だったからだ。だがその時点で彼女は、片足ではしゃがめないくらいに股関節に違和感がある状態だった。それでもファイナルでは36秒47の日本記録を含め、36秒4台を連発し、翌週のカルガリーでは男子と一緒のレースながら36秒39を出した。だが李相花(韓国)の世界記録には0秒03届かなかった。

「記録に関しては条件や運もあるので、悔しさはありません。ただ世界記録を目指す過程が私をすごく成長させてくれた。生まれ持ったこの体をスケートというスポーツを通じて存分に使いこなすことができるという、その楽しさがすごく価値のあるものだなと思っているので。世界記録が出せなかったことに悲しい気持ちだったり、悔しい気持ちだったりは湧き上がってはいません」

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