【平成の名力士列伝:旭道山】小さな体で大柄な力士に真っ向勝負を挑んだ「南海のハブ」の記憶と魅力
小兵力士ながら激しい相撲で人気を博した旭道山 photo by Kyodo News
連載・平成の名力士列伝45:旭道山
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、「南海のハブ」の異名を取った旭道山を紹介する。
連載・平成の名力士列伝リスト
【鮮烈な記憶として残る大横綱・千代の富士との名勝負】
眼光を鋭く光らせ、浅黒い肌に引き締まった細身の体を躍動させて、自分よりはるかに大きな相手にぶつかり、廻しを取って食らいつく。時には渾身の張り手を顔面に見舞ってダウンさせる。人呼んで「南海のハブ」――。旭道山は、故郷の鹿児島県徳之島に生息する猛毒の蛇・ハブのような激しい相撲で、平成初頭の土俵に鮮烈な印象を残した人気力士だった。
東京都で生まれ、3歳の時に徳之島に移住。小学生の頃は剣道に打ち込み、中学ではバレーボール部に所属。軽トラックを飛び越えたこともあるという抜群の跳躍力を生かして、県大会進出に貢献するなど活躍した。
中学卒業後、創設間もない元大関・旭國の大島部屋に誘われて入門し、昭和55(1980)年5月、初土俵。180センチ、75キロの細身で相撲経験はなかったため、しばらくは苦労したが、スピードと腕力を生かして頭角を現わして番付を上げ、24歳で新入幕を果たした平成元(1989)年1月場所、幕内最軽量の99キロながら9勝6敗と健闘して敢闘賞に輝き、幕内上位へと進出した。
鮮烈な印象を残したのは平成2(1990)年3月場所2日目の横綱・千代の富士戦だ。
すでに優勝30回の小さな大横綱との初顔合わせは、立ち合い、思いきりよく踏み込んでモロ差しになり、両下手を取って頭をつける絶好の体勢に。千代の富士がやや慌てたように強引な小手投げにくるところ、左足を踏み出し、自ら後ろに倒れながら渾身の切り返しを放てば、横綱の体がフワリと浮き、両者ほぼ同時に土俵に背中から落ちた。
行司の軍配は旭道山。思わぬ番狂わせに場内は大歓声だったが、物言いがつき、取り直しに。明らかに目つきの変わった横綱は、左で張って右を差し、左上手を十分につかむと、右で頭を押さえつけ、「ウルフ・スペシャル」ともいわれた上手投げを繰り出した。勝負あったかと思われたが、旭道山は強靭な足腰で懸命にこらえる。最後は力尽きて寄り切られたが、勝負が決まったあと、土俵上で苦笑いした千代の富士の姿が、旭道山の善戦ぶりを何よりも雄弁に物語っていた。
普段は人懐っこく笑顔の絶えない温和な人柄が、土俵に上がると一変。闘争心をむき出しにして自分よりはるかに体の大きな力士に挑みかかり、持てる力のすべてを絞り出して奮戦する。そんな姿がファンの心をとらえて人気力士となった。
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著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。