スポーツクライミング野中生萌「本当にもう奇跡だと思います」。ケガで東京五輪絶望的から銀メダル獲得までの舞台裏 (2ページ目)
「緊張することは間違いなくわかっていました。その上でまずふだんどおりのパフォーマンスを出せればいいと思っていました。実際に緊張からか、失敗している選手がたくさんいました。私は1本目に練習どおりのタイムを出せたことで、『これはもうちょっといけるかもしれない』と思うことができました。それがあって2本目はさらに攻めの登りができました。でもまさかあそこまでの自己ベストが出せるとは思っていませんでした」
勢いそのままに決勝でも7秒台を出し、スピードで3位につけた野中だが、続くボルダリングでは大いに苦しんだ。決勝で第1課題と第2課題を完登できたのは1位のヤンヤ・ガンブレット(スロベニア)ただひとり。野中は第1、第2課題を終えて完登なしの状況を「完全に悪い流れでした」と振り返る。そのなかでどう第3課題目に臨んだのだろうか。
「正直、2課題目が終わった時点で『もうメダルはないな』と一瞬だけ思ってしまいました。ただ、3課題目にいく前にそこまでのリザルトを見て『ここでゾーン(中間地点)を1トライでとれれば挽回のチャンスが掴める』と思ったんですよね。そのチャンスだけは絶対に逃したくない。その一心で1トライを全力で登りました」
ボルダリング第3課題に挑む野中生萌 photo by JMPA 第3課題を全力で挑んだ結果、見事ゾーンを1トライで獲得でき、ボルダリングでも3位を掴み取った。それによって最終種目のリードに向けて精神的な余裕が生まれた。
「ボルダリングが終わった時点で右ヒザのケガが悪化していました。身体的にはボロボロでしたけど、3位になれたことで『まだチャンスがある。まだあるぞ』とメンタルを立て直すことができました。あの場面で少しでも頑張れていなかったらとか、あそこでここに足を置けていなかったらとか思うと、本当に紙一重でしたね」
野中は、6月のW杯インスブルック大会で右ヒザにケガを負った。その時にはさすがに心が折れかかったが、それでも立ち向かえたのは周りのサポートがあったからだと言う。
「インスブルックの大会直後は中・軽症だと言われていたので、すぐに治るものだと思っていました。でもその後の検査が思ったよりも悪くて、五輪1ヶ月前にして全治3ヶ月と言われたんです。その時に『あ、もう間に合わないんだ』って思いましたね。
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