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井村雅代が中国で成したもう一つの偉業。
政治の枠を超え、抱擁を生んだ (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko

 井村が予見した通り、蒋姉妹は息の長い選手として活躍を続けている。2012年のロンドン五輪と2013年の世界水泳選手権ではデュエットのテクニカルとフリーの2種目で銀を獲得、結婚と出産を機に一度は引退するが、2017年には復帰を果たして再び世界水泳選手権でシルバーメダルを2つ首にかけた。

 井村がその才能を見出してからすでに10年以上が経過しているが、ふたりはアーティスティックスイミング強国となった中国をけん引し、今も現役である。北京五輪の選手選考で安易に慣例に流されていたら、この中国の隆盛は到底なかったと言えるだろう。

 北京ではシンクロにおける初のメダル(チーム種目で銅)を中国にもたらし、歴史に名を刻んだ。しかし、続けて指揮を執ったロンドン五輪においても再びチーム選考で問題が起きた。

 10人のメンバーからひとり外す段階になったときである。水泳連盟の副会長から「広東省からひとり外して欲しい」という要請が来たのだ。広東からは3人の選手が選抜されており、ここから削って、他省から代表を選んで欲しいというまたも政治的なジャッジだった。

 実力主義を無視した要求を井村は言下に却下する。

「それをやったら演技は壊れます。ロンドンで4位でもいいのなら、それでもかまいません。その場合は私を首にして他のコーチを起用して下さい」

 各省の体育リーダーからは、恫喝というムチのみならず、贈答品というアメも用意されていた。選考期間中に食事に誘い、無理やり、物品を置いて行こうとする職員もいた。井村は一切の会食を断り、金品は即座に送り返した。井村のエネルギーは指導と同時にこの巨大な国の官僚組織との闘いにも費やさねばならなかった。

 最終的に意志を貫いて作り上げた中国代表チームは、ロンドンで銀メダルを獲得した。ロシアと並んで2強と言われる時代の幕開けだった。

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